留学経験者に留学のきっかけ、その国、その学校を選んだ理由、何を得てどう活かしているかなど実体験をインタビュー。今回は、英国・アルスター大学大学院でアイルランド文学専攻、MA取得し、現在は宮崎県立延岡星雲高等学校 英語教諭の安井 誠さんにご寄稿いだきました。 皆さんもぜひご参考にしてください。
また、TOEFLメールマガジンでは、体験談等のご寄稿を随時募集しています!
私は高校生の時から、将来は高校の英語教師になりたいと思っていました。その際、大学を卒業してすぐに教員になるのではなく、最低でも1年間の留学をして英語力や海外生活経験を身に着けてから英語教師になろうと決心していました。
大学では英文学を専攻していました。英文学というとやはりシェイクスピアとかブロンテ姉妹などが有名で、図書館にはそれに関する専門書等も非常に多くありました。人とはあまり同じことをしたくない私(笑)は、イギリスの隣に浮かぶ小さな島、アイルランドという国に着目しました。あの小さな島から実に多くのノーベル文学賞受賞者がいるという点、「イギリス文学」の範疇になぜかアイルランド人も入っている不思議さ、そして(これが一番大きかった?)ギネスビールの美味しさ、等々の理由で、一気にアイルランドの虜になりました。そこから、自らの専門分野をアイルランド文学へとシフトしていき、留学先も何となくアイルランドがいいな、と思うようになっていきました。
実際に大学2年の春休み、アイルランドに語学研修に行く機会を得たので、アイルランドにあるほぼ全ての大学を訪れて立地条件や入学のしやすさ等を調べ回りました。南のアイルランド共和国のみならず、バスで8時間ほど揺られて英国領土の北アイルランドへも足を運んでみました。そこで分かったことは、南のアイルランド共和国においては地元の学生を優先的に入学させるため、私のような留学生には入学が厳しいということ。一方英国領の北アイルランドは日本人留学生も積極的に受け入れているということ。その当時の私の英語力はTOEFL PBTで530点前後でしたので、600点以上を求められる南のアイルランド共和国へ留学するよりも、550点で受け入れてもらえる北アイルランドの大学にしよう、と思い調べていると、北アイルランドの「アルスター大学」という大学が目にとまりました。早速資料を請求して色々と調べていきました。
翌年、大学3年の春休みに再度アイルランドを訪れて、気になっていたアルスター大学も訪ねることにしました。そこで、アイルランド文学の第一人者で当時出版されたばかりの「Oxford Companion to Irish Literature」を編集した先生とも会いました。その先生からは事前にメールで「来たらインタビューをするから」と言われていたので、簡単な質疑応答でもあるのかな、と思って気楽に構えていたのですが、インタビュー終了後「よし。君を大学院アイルランド文学への入学を許可する。今すぐアドミッション・オフィスに行って関係書類をもらってきなさい。私が言うとおりに書けばいいから」ということで、どうやら入学手続きがその場で始まったのだということが分かりました。後から分かったことですが、英語の「interview(インタビュー)」には「面接(試験)」という意味があり、まさにあの場では入学のための「面接試験」が行われていたのだと気が付きました。それぐらい、私の英語力はまだまだ低かったのです。いずれにしても、アイルランド文学に対する情熱だけで入学が認められたようなものでした。
そして大学卒業後、出発の日まで実家で過ごした後の7月、片道の航空券を手に夢にまで見た大学院正規留学へと旅立ちました。
私が留学したアルスター大学大学院では、TOEFL PBT 550点が求められていました。私が初めてTOEFLテストを受験したのは大学2年生の時で、その時のスコアは477点でした。「これではだめだ!」と思い、思い切ってある語学学校のTOEFLテスト受験コースを受講することにしました。語彙力増強から文法力、エッセイと、着々と力がついていき、大学4年には念願の550点をクリアすることができました。
私の勉強法、というか、心がけていたことは、アルバイト代が出たその日にまずTOEFLテスト受験を申し込む、ということです。当時のTOEFL PBTの受験料は8,800円でした。私は地方から上京し一人暮らしをしており、生活も全く豊かではありませんでしたが、「留学」というのが自分の中の最優先項目でしたので、アルバイト代が出た日には何よりもTOEFLテストの受験料納入を最優先しました。今思うとまさに「投資」だったと思います。私が大学時代にTOEFLテストを受験した回数は合計10回は下らないと思います。
TOEFLテストを受験した後、「今日はリスニングがだめだったから次回までにもっとリスニングをやらなければ!」とか、「語彙力がまだまだ足りない。努力不足!」など、毎回必ず何らかの収穫を得ることができます。忙しくて事前の対策が十分でなかった時も、受験中の2~3時間だけでも集中して問題に取り組むことができますので、思うような結果が出なかったときも諦めずに受験し続けました。
私のこの「受験し続ける」という哲学はその後英検1級合格やTOEIC受験にも継続されています。よく「今は受験しても高いスコアはとれないから(合格できないから)」という理由で受験をためらう人がいます。確かに受験料は安くはありませんので、その気持ちも分からないでもありません。でも、「ではいつなら準備万端になるの?」と思ってしまいます。英語力がついたら受験する、と思っていては、結局いつまでたっても受験することができません。よって、思いたったらとにかくまず「受験する」ことをお勧めします。受験さえすれば何か気づくものです。受験料はその気づきのための「授業料」と考えればいいと思います。極端に言えば、受験をすれば必ず何かが変わるのです。
アルスター大学大学院ではアイルランド文学を専攻しました。授業は週2日、それぞれ120分のディスカッション形式でした。年度初めに授業のシラバスが配布され、私たちは次の授業までに課題図書を読んでくることが求められていました。分量にして言えば、1つの授業につき普通の厚さのペーパーバック2~4冊ほどでした。日本語の本を読むのですら1週間に8冊読むのも大変なのに、全て英語で書かれた本を読むので当然時間がかかります。よって週2日の授業とはいえ、朝から晩までただひたすら読書に明け暮れる毎日でした。それまで生きてきた人生のうちで、これほどまで勉強したという時期はありませんでした。3度の食事以外は、文字通り、ただひたすら読書なのです。
授業では、予め読んできた課題図書の内容に関して中身の濃いディスカッションが行われました。私の場合は課題図書を読み終わるのが精一杯で、そこから自分の考えや意見をまとめる時間的余裕などはほとんど無かったので、なかなかディスカッションに加わることが出来ませんでした。そこで、担当の先生の許可を取り毎時間講義内容を録音し、寮に帰って聞き直したりテスト前に聞き直したりして理解を深めるようにしました。
1年間の講義が無事終了し試験にも合格。次はいよいよ修士論文です。修士論文執筆に取りかかり始めると、それまで以上に濃密な1日を過ごすことになりました。朝から夜遅くまで図書館の個人閲覧室(Study Carrell)にこもり、ただひたすら修士論文に取りかかる毎日でした。1日数行しか進まない日もあれば数ページ進む日もありましたが、大変だとか苦しいなどと思ったことは一度もありませんでした。自分の好きなことに24時間打ち込むことができるこの上ない幸せと充実感を感じながら毎日頑張った気がします。
金曜日になると、どこからともなくパーティに誘われて見知らぬ土地に行っては思い切りはしゃいだりもしました。進度が順調なときはパブに行って大好きなギネスを飲んだりもしました。刻々と迫ってくる修士論文完成=留学終了まで、やる時はやる、遊ぶ時は遊ぶ、とメリハリをつけるよう心がけました。
何よりもこの上ない達成感があります。高校を卒業して大学に入学したその日から「何が何でも正規留学をするぞ」と思い、4年間かけてしっかりと準備を重ねてきました。そして夢叶って実際に留学し、振り返ってみればあっと言う間の20ヶ月間。留学中、テストで大失敗して泣きながら学部長に嘆願に行った時もあれば、友人関係で悩んだこともありました。しかし修士論文が終わって製本をしたときの感動、「Master of Arts」の学位記を受け取ったときの感動は今でも忘れることが出来ません。心の底から達成感が沸いてきました。全てにおいて、お金では換えられない自信や経験を身に付けることが出来ました。今ではこの達成感が自信となり、何事も諦めずに頑張れば夢や目標は必ず達成できると思えるようになりました。英語教師としても、英語力のみならず経験を大いに生かしながら授業やその他の活動に自信を持って行うことができています。
2番目として、仕事だけでなく家事や育児など家庭も大事にする理想の父親像を見ることができました。短期の語学研修も含め、私がホームステイでお世話になった家庭はどこもホストファーザーが働き者で、家事もホストマザーと役割分担をしっかりとしていました。例えば、マザーが食事を作ったら、ファーザーの役目は食器洗いに洗濯、といったように、二人で楽しく力を合わせて家事をこなしていました。日本では、共働きが増えてきたとはいえ、いまだに家事は妻の仕事、という習慣が意識的・無意識的にある気がしますが、留学中こういうシーンを頻繁に見ることで、「自分もああいう夫そして父親になりたい」と思うようになりました。今や3児の父親になった私は、同じく教員をしている妻と協力し、留学中に思い描いた「理想の夫・父親」像を具現化すべく毎日頑張っています。
現在私は、宮崎県立延岡星雲高等学校で英語教諭として働いています。同時に、同校の国際人文科とフロンティア科の学科主任もしております。
昨年度、本校は宮崎県で初となる、海外指定校大学進学のプログラムを導入しました。本校を卒業した後、規定の英語力と学力を持っていれば海外の指定大学に入学が出来るという仕組みです。私自身がそうであったように、海外留学はとても忙しくて大変ですが、その分何にも代えられない貴重な経験ができます。私はこのような思いを一人でも多くの生徒に味わってもらいたいと思い、このプログラムの導入に踏み切りました。今後私の教え子から何人海外留学をするのかとても楽しみです。
私個人としては、もっともっと自らの英語力及び英語指導力を伸ばしていきたいと思っています。特に最近では、理論に基づいた英語教育を行いたいと考えるようになりました。家族も増えた今では再度海外留学をするのは困難かもしれませんが、11年前最後の最後まで迷った「英語教授法」を勉強したいという思いをずっと持ち続けています。いつになるか分かりませんが、自分の経験から「可能性を信じ続け、常に準備しておけば必ず達成できる」と思っていますので、将来必ず再度留学して「英語教授法」をじっくりと勉強したいと思っています。
私が留学したいと思った理由は「留学経験のある英語教師になりたい」という強い思いからです。そして留学先選びは、ずばりその国が好きだから、その大学で勉強したい学問があるから、ということです。そのため、積極的に学校案内を取り寄せたり大学に直接問い合わせたり、そして実際に現地に足を運び大学を見てみたり、大学の先生方に会ったりと、積極的に行動して最終決定しました。そのおかげで私はベストな留学ができたと思っています。
これから留学したいと思っている方は、まずは「何のために留学するのか」ということについてよく考えてください。ただ単に外国に行きたいから、外国に興味があるから、英語力を伸ばしたいから、だけの理由でしたら、短期の語学研修もしくはワーキングホリデーで十分だと思います。しかしもしみなさんの中で正規留学がしたい、海外で学位が取りたい、と思っているのであれば、留学する明確な意図と強い意志がないと厳しいかもしれません。そして留学先については、どこでもいい、ではなく、その国のそこの大学でなければだめだ、という明確な理由を持っておく必要があります。
その他にも留学費用や英語力など、越えなければならないハードルは多いでしょうが、留学の経験はそれらの不安を解消するに余りある非常に充実したものになることでしょう。みなさんの留学生活が実りあるものになるよう、心から祈っております。