TOEFL メールマガジン

For Lifelong English

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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。

第49回 For Lifelong English – グローバル化の共通基盤となる英語とインターネット、そしてクラウドについて その1

村井 純先生

村井 純先生
慶應義塾大学環境情報学部長教授
1984年日本の大学間ネットワークJUNETを設立。1988年インターネットに関する研究プロジェクトWIDEプロジェクトを設立し現在はファウンダーとして指導にあたっている。
内閣官房 IT戦略推進本部員、同情報セキュリティセンター情報セキュリティ政策会議委員、(社)情報処理学会フェロー、日本学術会議連携会員。内閣他各省庁委員会の主査や委員等を多数務め、国際学会等でも活動。元ICANN理事、元ISOC理事、元IABメンバーなど国際学会でも活躍する。2005年Jonathan B. Postel Service Award、2007年第6回情報科学技術フォーラム(FIT2007)船井業績賞、2011年IEEE Internet Award、2012年第20回大川賞受賞。著書「インターネット」、「インターネットII」「インターネット新世代」(岩波書店)他、多数。

鈴木 佑治(聞き手)

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授

TOEFLテストとインターネットの共通点

鈴木佑治先生:
インターネットというと、即座に村井先生の名前が浮かびます。アメリカのパイオニアの方々と研究され、日本での普及には大きな役割を果たしてこられました。自己紹介も兼ねてお聞かせいただけますでしょうか。
村井純先生:
はい。わかりました。私の自己紹介に入る前に、TOEFLテストの方がいらっしゃるのでお聞きしたいのですが、私の認識では、TOEFLテストというのは、アカデミッククライテリアつまり学校での学習の基準に関するテストという認識はありますが、それ以外の目的はあるのですか。
編集部:
はい、TOEFLテストはご存じのように、アメリカの非営利のテスト開発団体であるETSが作成しているテストで、元々はアメリカの大学、大学院の入学の際に英語力を測るテストとして作られています。現状は他の用途でも使われていますが、元々の設計はそのようなものです。
村井純先生:
なるほど、わかりました。そうすると留学生が現地で授業を受けたり、研究を進めるうえで必要な英語力の基準となるわけですね。
鈴木佑治先生:
通常は大学や大学院における留学生用の入学試験の一つとして使われていますが、本来の目的はそうではなく、留学生がどの程度英語による授業についていけるか、いけないとしたらどの程度の英語力をつけたらよいのかを診断することです。すなわち診断テスト(diagnostic test)であって、入学試験ではないというのがETSの見解です。
村井純先生:
なるほど。私が興味があるのは、元々アメリカでスタートして、今世界中で使われてきている中で、テストを供給する側の理念というものは変わることがあるのですか。英語力のリクワイアメントなのか、アメリカの大学を基準としたものになるのか、そのあたりはどうでしょう。
編集部:
はい、TOEFLテストは始まった時点より、はるかに多くの国で試験が行われていますので、現状はアメリカに関する特定の何かを知らなければ解けない内容にはなっていないと思います。できるだけ文化的なバイアスを低くしていると思います。
村井純先生:
なるほど。方向性としてはグローバルを目指しているということですね。
編集部:
その方向に向けて取り組んでいると思います。
村井純先生:
そうですか。そうなると、問題の内容について変化はあるのでしょうか。
編集部:
形式としては、以前のペーパー版TOEFLテストから今はインターネット版のテストになっていますが、内容としてはできるだけ公平さの観点から作られています。ただ、問題のなかでは、クラブのコーチと選手の会話があったりしますが、そこにアメリカの文化が反映されていないかというと、まったくゼロではないと思います。
村井純先生:
なるほど。参考書の中には、例文の中にアメリカンジョークをとりあげていたり、実社会でもアメリカの歴史を知らないとわからない話はよくありますよ。国際会議に出ていると、「そういう(その国の人間しかわからないような)話はやめて欲しいな」と思うこともあります。
鈴木佑治先:
私も、以前アメリカのETS本部の方々とお話しする機会があり、その時に指摘した事があります。例えばリスニングの問題に、テキサスの気象に関する問題が出題されていました。テキサスの地理的背景を知らなければ不利ですね。そのような言語外の知識の有無によって差がつくような問題は、英語を母語としない受験者に向いておらず、英語力を診断するテストとしては疑問であると進言したことがあります。1993年か1994年の頃であったと記憶しています。今ではそういう問題は大分なくなり、改善されてきているようです。
村井純先:
実際の話としては、アメリカの大学などで授業を受ける時には、南北戦争などの話がわからなければ授業の話もきっとわからないこともあるんですよね。歴史の史実や人物に関するジョークを言いながら、そういうアナロジーを使って議論していく。それはアメリカの大学に行くのであれば、それはそれで必要なのですが、他方グローバルという観点では私は違うと思ってます。アメリカの偉い先生に、国際会議では「ちょっと待て、今のはグローバルではない」と結構教育しているんですよ。やっぱりそういうことは、外から言わないと気がつかないことなんです。なるほど、趣旨はわかりました。
鈴木佑治先生:
それでは、まずITにおける英語の役割についてお伺いします。英語のグローバル化が進んでいけば、その内容も変わっていかなくてはいけないわけです。グローバルというのであれば、世界中を網羅しなければいけないのですが、英語の普及がどこか特定の国で話されている英語とその文化に一極化させてしまうのであれば恐ろしい話です。IT自体も英語と同じようなところがあると思いますが、今の流れをみていると心配なのは、言語と文化が一極化しないか、ということです。ITを利用すれば、本来マルチリンガル、マルチカルチャー例えばマイナーランゲージやマイナーカルチャーといったものが、マルチメディアを使って、もしかすると多極化したまま、かなり保存できるのではないかと考えています。英語そのものもある国の英語に一極化するのではなく、様々な言語と文化に基づいた様々な英語があり、逆にそういったものを保護していかなくてはいけないわけですよね。
それとあわせて先生ご自身はどのように英語をマスターされたのでしょうか。村井先生は、ネットを含めて色々なところで英語で発信されていらっしゃるのですが、どういった教育活動をしていらっしゃるのか?高校生や大学生もこのメルマガを読んでくれているので、そのあたりからお話をお聞かせいただければと思います。
村井純先生:
ええ、そうでしょうね。わかりました。それぞれ重要なことですし、楽しそうなお話になりそうですね。

英語とのかかわりについて

鈴木佑治先生:
それでは、まず村井先生の経歴についてお話いただけますでしょうか。
村井純先生:
はい、わかりました。私は、高校生になるまで海外に行ったことがありませんでした。両親は私が3歳の時ですから、1958年からハーバードやプリンストンなどの研究所に夫婦ともにそれぞれ別の分野で、父は哲学、母は音楽の関係で海外に行っていました。ですが私は両親とは海外に行きませんでしたから、ドメスティックな教育を受けてきたわけです。ポイントとしてはずっとドメスティックなわけですが、英語との関係からいいますと、私の専門であるコンピュータを始めるまでの一番の大きなインパクトは、キャンプですね。
鈴木佑治先生:
キャンプによる野外教育ですね。
村井純先生:
はい、そうです。野外教育です。小さいころからライフセービングキャンプに行っていた関係で1970年の15歳のときに、6月から9月の3ヶ月間、カナダとアメリカのキャンプ活動に参加しました。だから、大学に入って、一般教養課程のあたりまでは、ずっとキャンプばかりしてました。
鈴木佑治先生:
それは慶應義塾中等部でのことですか?
村井純先生:
いえ、慶應義塾高等学校の1年生のときの話です。
鈴木佑治先生:
なるほど。
村井純先生:
ええ、私は小さいころからキャンプを経験しているので、キャンプの参加者の交流プログラムに参加し、その時にはじめて海外に行っています。大学生になってからは、キャンプカウンセラー(※1)になりました。キャンプカウンセラーには、また別の国際プログラムがあって、ICCP(International Camp Counselor Program)というプログラムに参加しました。ボーイスカウトとガールスカウトとYMCAの連合で運営されているICCPインターナショナルキャンプカウンセラープログラムというプログラムがあるんです。そしてそれは、アメリカ大統領のインビテーションです。ですからインターナショナルマインドは、まずアメリカやカナダの子ども達と触れあうことで身についたと思います。アメリカは、Outdoor EducationとSchool Educationのバランスがfifty‐fiftyなんですね。だから夏の間は、アメリカで子どもがいる家庭では「Send kids to camp」とか「Kick kids out to the camp」、つまり子どもはみんなキャンプに追い出せ!とか言うくらいなんです。そのくらいアウトドアが大事で、そこでインターナショナルスピリット、フロンティアスピリットを教育しなくてはいけないんです。
鈴木佑治先生:
なるほど 連合プログラムなんですね。
村井純先生:
ええ。それに応募して大学2年のときに、今度はキャンプカウンセラーのトレーニングのためにニューヨークに行きました。それから全米のキャンプに行って、6月から9月まで、ひと夏まるまるそこにいるわけですよ。だからこれに参加すると大学は落第してしまうんです。
鈴木佑治先生:
なるほど、そうですか。
村井純先生:
ええ。だって日本の大学の1学期の試験期間に日本に居ないわけですから。ですから、国際キャンプに参加していたので留年したっていうのが大学の一般教養課程時代のエピソードです。大学の学部生時代の私の国際活動というのは、その時期しかやっていません。それで、キャンプが終わって戻ってきて、数学科に入ってコンピュータを勉強し始めました。勉強を始めたら 数学よりコンピュータの方が面白くなり大学院まで行きました。英語については、話す英語に関しては自信がありました。やはりキャンプで子ども達と話していた経験がありますから、会話も特に困っていませんでした。アメリカのキャンプでは、子ども達の言葉遣いの風紀委員をやっていたんです。「Watch out your mouth!」なんていいながら、汚い言葉を使っている子どもの言葉遣いを直していました。
鈴木佑治先生:
なるほど、それはすごいですね。
村井純先生:
ええ。今考えると、そんなには喋れなかったと思いますが、それでもほかの国からのキャンプカウンセラーにそういうことをやらせるっていうのも、いいことだと思います。キャンプで子ども達と英語を使って生活していたので、言葉に不自由するなんてことは感じたことなかったんです。それで、専門になって研究していた時に、パデュー大学に、私とそっくりの研究をしている偉い先生がいらっしゃって、その先生の話を聞く機会を持てたときに話そうとしたんですが、そこで全く話せなかったんです。
鈴木佑治先生:
それはどうしてだったんでしょう。
村井純先生:
つまり、自分では日常英会話はできると思っていましたが、専門分野の話は全くダメで、これは全然違う力だということがわかりました。そこで専門の話が英語でできるように、海外の学会に行くようにしました。大学院に進んで助手をしていた時から、カリフォルニアのUC Berkeley(※2) と共同研究をしていました。BSD開発をしていた時のことです。
鈴木佑治先生:
そこはとても重要ですね。村井先生くらい英語が話せると、大抵の人は、アメリカに留学したから話せるのではないかと思ってしまいます。
村井純先生:
いえいえ、僕は純粋なドメスティックですから。
鈴木佑治先生:
共同研究で、研究室を通してUC Berkeleyと共同研究されていて、もちろん、そこでは英語を話しておられたのですね。
村井純先生:
そうです。私は中学の時は、英語の成績は良かったんです。ビートルズが大好きで、小学生の時、歌詞カードをタイプで作る遊びをしていました。家にタイプライターがあったおかげで、タッチタイプは小学校4年生の時に出来ていました。それでビートルズの歌詞を全部タイプで打って、レコードも擦り切れるくらいまで聴きました。私はB型なので、マニアックというか、はまるタイプなんです。小学校でビートルズの歌は全部歌詞を覚えて歌えていたし、スペルも全部わかっていましたが、歌の意味は全くわかりませんでした。中学に入って英語の勉強を始めたら、そのぼんやりしていたものがハッキリしてきたんです。
「I’m only sleeping」とかも、ああそうかそういう意味だったのかと、そういう感じで歌詞をまるごと覚えているから、わかってくると楽しくてしょうがないわけです。だから、中学時代の英語のテストでは、94点以下は取ったことないんですよ。英語がものすごく楽しかったですから。英語と数学だけで慶應義塾高等学校に入ったようなものですから。
鈴木佑治先生:
そうでしたか。
村井純先生:
ええ、数学は大好きでしたし、英語はそういう形で強かったんですね。ビートルズのおかげで、英語の基礎と文法は身に付きました。ですが大学の専門の時には、全く話せずにすごく打ちひしがれて自信が崩壊し、それで専門を英語で議論できるようになることはとても大切だと思いました。よく中学3年間の教科書がわかっていれば英語はなんとかなるだろうと言われますが、その意味では基礎の力があったのでブランクがあっても大丈夫でした。

グローバルコミュニケーションの基盤としてのインターネットと英語

村井純先生:
グローバルガバナンスやグローバルな会議体というものは、インターネット以外では存在していないんです。インターネットが初めてなんです。そもそも国際会議といっても、実際は、全部ナショナルの会議体ですよね。国の利益を追求するのが外交ですが、グローバルガバナンスを本当に議論し始めたのはインターネットなんですよ。インターネット以外で、僕はWIPOと、WIPOが対象としていたドメイン名○○.comの争いがあった時に、インターネット界を代表してWIPOとの調整にあたりました。WIPO(ワイポ)というのはWorld Intellectual Property Organization/世界知的所有権機関という国際機関で、取り扱っているのは、全部インターナショナルなことです。例えばインターネット上に表示されるcoca-cola.comっていうのは本当にコカコーラという企業が取得しているのか、madonna.comは本当に歌手のマドンナの商標なのかと言われると、そんなことばかりではないわけです(この二つは本物ですが)。そういうグローバル商標としてのトレードマークや、Intellectual Propertyの議論をするのは、WIPO側も初めてでした。おもしろかったのは、WIPOにとってのacronymとしてのIPは、Intellectual Propertyの略ですが、こちらにとってはIPはInternet Protocol で全く違う言語を話すということになりました。しかし議論をしていくなかでWIPO側が、本当の意味でWorld Intellectual Propertyの実態が出てきたと、この議論をしたことを先方も大変喜ばれていました。
それは、言い換えれば、本当のグローバルな空間と言うものを議論できる場を、インターネットが作ったことです。これは間違いないと思います。WIPOで議論しているときに感じましたが、「Truly Global」というのは、インターネットにとってはとても大事な概念です。最初の質問でTOEFLテストがアメリカから始まっていて、それが今globalなテストになっていると伺いましたが、それは、実はインターネットと同じなんですよ。インターネットは技術としては、完全なグローバルな空間を作ることで頑張ってきていて、US-centricかどうかというのは、実はとても大事な意趣で、そうではないようにアメリカ側も気を付けながら議論をしてきました。だからアメリカ側のリーダー、ヴィントン・サーフ氏(Vinton Gray Cerf)やこの議論に関わった人たちもみなそう思って、私たちと一緒にそういう世界を作ろうとしてきました。そんな中、ある会議で意思決定を待っていた時に、口笛を吹きながら「これはなんかニューオリンズみたいだ」とかいうジョークを言った人がいたので、「あなたのそのアナロジーはダメだ」っていうことを注意しました。大人になっても大学時代にやっていたように、また言葉遣いの風紀委員になり、アメリカ的なanalogyを使った議論はしないっていうことを確認しながらやっていました。そのことはそのとき相当意識しましたけれど。いずれにせよ、インターネットはアメリカ発祥でグローバルなモノになりました。例えば、World Economic Forumをご存知でしょうか。スイスの経済学者、クラウス・シュワブ氏(Klaus Schwab)が設立した非営利の財団です。World Economic Forumでは、彼は年次総会をはじめ様々な場所で必ずインターネットを使っています。最新の技術を使い、総会にはインターネットの関係者も必ず参加させています。彼は、World Economicはインターネットで始まったという考えを主張していて、それが全てなんです。したがってインターネットというのは、「Truly Global」の本当のグローバルな空間って何?と考えたときの共通基盤になるんです。私は、少なくとも今の段階では、誰が何と言おうと、英語は基本的に共通の基盤のコミュニケーションの言語だと思っています。インターネットと英語はすごく似ていると思うんですよ。これは、いろんな言語があるのになぜ英語かという議論とは全然別のレベルのことです。『インターネットが世界をつなぎました』という事実と同じで、『英語が世界をつなぎました』ということだと思います。つまり言語としてのEnglishではなくて、基盤としてのEnglishであるのであって、グローバルな共通の言語を人類が持っているということは、インターネットを持っていなきゃいけないのと同じくらい大事なことで、そこに英語の役割があるのではないかと思います。

キャンプカウンセラー(※1)
キャンプなどの自然体験活動を通じて、子ども達とともに遊び、楽しみ、時には悩み、お互いに学び合うなどの子ども達の教育を目的としたボランティア活動を行う学生のこと。
UC Berkeley(※2)
University of California at Berkeleyの略称, カリフォルニア大学バークレイ校

鈴木佑治先生の感想

1990年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(通称 SFC)が発足しました。問題発見・解決、学生は未来からの留学生、英語を必修から外し選択制に、などなど多くの改革キャッチフレーズを掲げておりました。わけても、最先端のIT環境を導入し、その環境の中で知はどのように変革するであろうかという未来学的な命題もその一つです。当時30代の村井先生は、SFC創立メンバーの一人で、「環境情報学部」に籍を置き、最先端のデジタル技術を駆使したIT環境の基盤整備、特に、インターネットの導入に奮闘されていました。同学部に籍を置いた私たち英語専任教員は、インターネットを取り入れた英語プログラムを立ち上げようと暗中模索しておりました。村井先生は、私たちがITに不得手なことを知り、村井研究室(WIDE)の学生を送っては、惜しみないIT環境のサポートをしてくれました。その結果、遠隔会議システムによる海外交流プログラムなど、他にも枚挙にいとまがないほどインターネットによる先端的な試みをすることができました。

インタビューからも分かるとおり、村井先生は、もともと英語にもかなりの興味を持たれておりました。私たちは、発足と同時にTOEFL ITPテストをSFCの英語プログラムの授業前のクラス分けに導入しました。全キャンパスに導入したのは私たちが最初であったと記憶しております。1992年頃でしたか、村井先生は、プログラム修了時にもTOEFLテストを受けさせて、習熟度を測るべきだと主張されました。村井先生の言うとおりでしたが、私たちは、SFCにTOEFLテストを導入したことで満足し、その見識ある意見には応えませんでした。私は今でも大いに悔いております。あの数々の素晴らしい英語プロジェクトを行い、ネットで発信していた学生諸君は、相当英語力を伸ばしていましたから、それを示す一つの指標として行うべきであったと反省しております。ちなみに、現在、私が管轄するプログラムでは、入学時のプレイスメントに加えて学期ごとにその後の2年間に4回の習熟度テストを行っています。次回も村井先生のITや英語に関する興味深い話を聞くことができます。お楽しみに。

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