TOEFL メールマガジン

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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。

第55回 いまこそ日本の教育を世界レベルへ その1
~二人の教育・言語の著名教授が語る教育の向上・発信とは~

鈴木 孝夫(すずき たかお)先生

鈴木 孝夫(すずき たかお)先生
慶應義塾大学名誉教授
慶應義塾大学医学部入学後 文学部英文科に移籍し卒業
ミシガン大学及びカナダ・マギル大学に留学
後にイエール大学及びイリノイ大学客員教授
ケンブリッジ大学エマニュエル校及びダウニング校訪問フェロー
日本野鳥の会顧問

谷口 吉弘先生

谷口 吉弘先生
1980年代後半から、立命館大学「21世紀学園構想委員会」に委員て参加し、新しい理工学部の教育研究の展開について答申した。1994年、理工学部が京都の衣笠から滋賀県草津市へ移転後、理工学部再編拡充事務局長として理工学部の教育改革を実施した。1998年から3ヶ年間、理工学部長を務める。また、2007年から、生命科学部・薬学部の設置にかかわり、2008年から3ヶ年間初代生命科学部長、その後、学校法人立命館総長特別補佐を歴任、2012年3月立命館大学を定年退職。現在、平安女学院大学副学長、平安女学院中学校高等学校校長、京都府立医科大学客員教授、立命館大学名誉教授。文部科学省、経済産業省 各種委員。滋賀県産業教育審議会会長

鈴木 佑治(聞き手)

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授

鈴木佑治先生:
昨今は、英語で考えを話したり書いたり表現することが重要になってきています。私は、慶應義塾大学時代には言語文化研究所の鈴木先生に、立命館大学時代には、初代生命科学学部長 谷口先生に色々とお話を伺ってまいりました。
日本人の学生は英語の発信能力が劣っているということは確かです。実は、母語である日本でも発信能力が劣っているのではないか?ということなんです。アメリカでは、小学校から高等学校で母語である英語での発信能力向上をディスカッションの授業でやるわけです。大学ではアカデミックライティングでの発信能力について徹底的に鍛えています。日本では、大学入試等で小論文がありますが、それほど多くはありません。そして日本語(話し言葉)で発信能力を鍛えるカリキュラムはありません。鈴木孝夫先生は兼かねてから母語である日本の素晴らしさを世界に広める必要があるとおっしゃっています。国連で、日本はかなりお金を出しているのに日本語が国連の言葉になっていないですよね?政治力を使ってでもそうすべきだと鈴木孝夫先生はおっしゃっています。とにかく、日本から発信しなくちゃいけない、西洋の言うことだけを聞いてる場合ではないと、随分前からおっしゃっていますね。私は、慶應義塾大学のSFCに行ってから、初めて先生のおっしゃていることの重要性を理解いたしました。谷口先生におかれましては、応用化学者における専門科目を教える傍ら、理系の学生向けに日本語のアカデミックライティングのプログラムを立ち上げられました。プログラムを作り授業を立ち上げた方というのは、谷口先生しかおられません。
私も、学生達に英語でやらせたいのですが、それ以前に日本語でも発表することができないわけです。ところが谷口先生が1回生、2回生でやってらっしゃるので、それが連動して動き始めたんです。そんな矢先に先生がおやめになってしまって、私もやめてしまおうかと思うくらい残念でした。
TOEFLメルマガでは、それぞれお話を伺う機会をいただいておりましたが、それでは足りないと思い、今回お二人にLCRでの対談という形でお願いした次第です。LCRという会はどういう会かと申しますと、私たちがやっているプロジェクト発信型の基盤的なことを考えるグループなんです。ランゲージ・コミュニケーション・リサーチという、いってみれば、鈴木孝夫先生は言語文化研究でやりたかったのはこれでないかと私は思っているんです。言語を中心にありとあらゆる「コミュニケーション」とは何か?ということを考えなければならない。そのためには理論研究、実践研究と様々な学問を通じて「コミュニケーション」を考えなければならない。そこに英語プログラムが実を結ぶのではないかと思うわけです。そして私の学部の生命科学部という学部の学生が英語プログラムを助けてくれています。今年で5年目になりますが、残念ながら学部でご理解いただけたのは、谷口先生ただお一人でいらっしゃいました。ですから、いま学部と英語の先生と事務局とそして学生とが一体となってやる発信型プログラムができました。成果は収めはじめていまして、私にとっても英語教育にとっても、大きな成果だといえます。
さて、今日はどちらの先生からでも結構なのですが、日本人の日本語についてお話をしていただけますでしょうか?それでは鈴木孝夫先生からお願いできますでしょうか?
鈴木孝夫先生:
まず伺います。これは大学院の学生を中心に考えてらっしゃいますか?
鈴木佑治先生:
学部という単位で考えています。
鈴木孝夫先生:
はい、わかりました。日本人は歴史的に見て外国に対して発信をするという歴史的な伝統がないんです。これは、漢文の時代もそう。相手の国のものを受け入れて自己啓発をするか新しい技術、例えば火薬をどう作るとか磁石をどう作るとかいうことを学ぶでしょ?そして明治維新になると汽車はどう作る、溶鉱炉はどう作るという、要するに外国の知識を輸入するというのが外国語教育だったわけです。このように日本が外国をどうこうしよう、影響を与えようという相手を意識して外国語を勉強したことは今までにないんです。全部いいものをとって個人的には人格を高めるとか視野を広げるとか、国家としては遅れた日本をどうやったら外国に追いつき追い越せるようになるか、知識の落差を埋めるために書物を解読したわけです。だから、外国人が居てその人と話したり、ましてやその人と喧嘩して、戦争してという対立利害関係にはないんです。だから日本人の外国語教育というのは、相手不在なのです。欧米で言えば、古代のギリシャローマを学ぶ古典教育がそうなんです。ヨーロッパの人がギリシャローマを学ぶというのは、ギリシャローマの人はみんな死んでいるから、勝手にいろいろ解釈するわけです。日本は、ヨーロッパから優れた知識を得ることはできたけれど、今と違って情報も大体船で行くのに2ヶ月かかりますから、隔離されてましたよね。そうなると結局現代語を死語として扱うことができた非常に珍しい民族なんです。そのために、外国人との直接対話の経験がなく、相手を説得する言語技術が殆ど発達していないのです。仲間同士日本人同士なら通じるわけです。外国人に日本人なら理解できる論文を書くと物笑いになってしまいますね。
学習院の学長にもなられた物理学者の木下 是雄先生と共に言語技術研究会を作ったことがあります。外国では、日本の製品はベストだ、ところがマニュアルはジョークだと言われていた時があった。それを通産省が真面目に取り上げて、日本製品は良くて、マニュアルはジョークというのはどういうことか?となったんです。要するに説明が断定形ではないために、モヤモヤした表現になってしまうわけです。そこに堺屋太一さんも入られてやったんですが、あまり反響がないんですよね。鈴木(佑治)先生が言っているようなことは既に理科系の人は気が付いているんだけど、文系は発信する必要がないから気付かないんです。そこで、日本語で発表したものは外国に知られないというアンバランスが生まれている。理科系の場合は、すぐ英語で書くでしょ?その人の論文がどれだけ引用されたかということで評価が変わります。ですから、理系は主に英語を使いますよね。そのため今では英語が随分よくなりましたよね。文科系は依然として進歩がないように思います。日本の語学教育が情報と知識と技術を輸入するだけではなく、日本は大国になったために、日本から発信しなければいけないのに、口のしびれたATMと世界から笑われてしまうわけです。国連でも、日本はお金はイソイソと出すけど意見は殆ど言わないんですね。それを直さなくてはいけない。ですから私はLCRの取り組みは大変素晴らしいことだと思っています。
鈴木佑治先生:
日本人は物は作り理解はしても、自分は何を考えているかを話しているのでしょうか。
鈴木孝夫先生:
今でも日本が世界と思っているのは、西洋なんです。日本人が「世界は」と言うときは、アフリカを意識しているでしょうか?そのヨーロッパの伝統は「話」「話言葉」なんです。ギリシャもローマも学問、宗教そして政治などありとあらゆるものを、フォーラム(広場)で口頭でやる。古代は本や書物と言うものが今ほどないわけです。口頭で討論する、つまりヨーロッパ世界は話し言葉が優先されるわけです。試験も口頭試験なんです。一人の学生に何時間も議論させます。日本ではペーパーテストです。特に戦後はそうですね、評価の客観性ということで。日本は人間同士がコミュニケートして、外国と交渉したり外国をなだめたりするようなことが殆どなかった。つまり、相手不在の言語活動だから、日本語は基本的には独り言なんです。そして、僕の独り言が他の人になぜわかるのかというと、みんな思考のタイプが同じだからです。コンテクストが同じなんです、日本は。ファクトオリエンテッドのコミュニケーションには強いのですが、学説・仮説といったフィクションになると急に日本はダメになってしまいます。ですから、日本は論より証拠で、ヨーロッパは証拠より論なわけです。中国の外交も同じことです。この世界観の違いを外国と日本の間のインターフェースでどうすべきか、私は日本人全員にそういう教育をしたら混乱してしまうと思うんです。ですから外国向きの人、選りすぐりの人を見出す防衛論が必要だと思っています。全員を強くしようというのは日本のいままでの歴史と現在の世界では難しいです。しかもみんなを外国向きに強くすると日本が面白くない国になってしまいます。日本らしくない日本ということです。日本らしさを失ってまで繁栄する必要があるのでしょうか?アメリカのようになれればいいけど、そうなったら、三流のアメリカ人、四流のイギリス人になりかねません。それであれば、日本人であることを悪びれず、辺境意識を捨てて、日本が世界の中心なんだと、俺が世界の中心だという意識を持った日本人を大学で教育しないといけないと思うんです。ですから、学部レベルの多人数相手では、どうかと思うんです。頭のいい人、そうでない人もいるわけです。それは、今の学部だけじゃなくてどこにでも言えることです。常識がない人でも大学に入れるのが現在の日本です。今の大学教育を発信型に改善すると言ったときに大学全部に当てはめるのか、いくつかのエリート大学だけを問題にするのか、それとも一つの大学のなかで対外的な交渉力のレベルの高い人をターゲットするのか、という議論をしていかないと、国民を全員同じレベルに上げていくのは無理ではないかと考えています。企業の窓際族とか、官庁で出世路線から外れてしまったような日本の社会ではアウトロー的なポジション、つまり良い意味ではみ出ししまった人を発掘し教育したほうが現実的じゃないかと思うんです。今の大学、慶應でもどこでもいえますが「教える先生より上にしよう」っていうのは、下克上どころかどうやったらいいか、私も真面目に悩んでいます。ですから、先に私が伺ったのはそれなんです。SFCで、なぜ英語教育を必修にしたくなかったかというと、大学に来ていまさら英語を学ぶなんてレベルの人は、大学に入れたくなかったんです。英語は既に大丈夫、でもロシア語はまだなんです、インドネシア語はやってないです、というレベルの高い人に来てほしかった。当たり障りのあることですが、日本にある700の大学について、10から20のエリート大学の学校教育とそれ以外の大学の学校教育とは分けなければ結局お互いの足を引っ張り合ってしまいます。だから今東大も国際ランキングが下がってます。世界レベルを維持するには、「俺たちは別だ」という特権意識、別格意識を持ってかまわないんです。アメリカなんてスゴいもんです。オックスフォード、ケンブリッジ、フランスだってそうです。そのかわり、40歳で大統領になれるような特別な教育、そういうしごきが必要なわけです。こういう議論を真剣にするのであれば、大学院だけとか、少し枠を決めないとすべての大学のレベルアップは、現実的ではないと慶應で感じましたね。
鈴木佑治先生:
なるほど、わかりました。谷口先生はどのようにお考えかお聞かせください。
谷口先生:
はい。私は鈴木孝夫先生のような高尚な話はできません。鈴木孝夫先生は文学者ですが私は自然科学者なのでなぜこういうことをやったかということを単純に説明します。学生が新入生として入学し、1年生の後期から化学実験が始まります。それに伴って、レポートを書くという作業があります。
鈴木佑治先生:
そのレポートは日本語で書くのですか?
谷口先生:
ええ、日本語でレポートを書きます。ところが現実にレポートを書くとなると、実験をした事実を書きとめる以前に、書き方がわからないんです。本来の化学のレポートの書き方の指導をしたいのですが、日本語の添削ばっかりになってしまうんです、あまりのも日本語表現ができないの、日本語の書き方の指導で終わってしまいます。レポートの返却を何度繰り返しても、日本語表現に進歩がなく、同じことの繰り返しで、化学レポートの内容踏み込めないんです。
鈴木孝夫先生:
なるほど、入り口で足踏みしてしまうわけですね。
谷口先生:
おっしゃるとおりです。また、学生の学力が年々低下し、ますます深刻化しているように思います。よく考えてみると、立命館大学だけでなく、他の大学もそういう現実にさらされています。この改善のために、新しい教育の仕組みを、既存の学部の教育の仕組みに取り入れることは組み込むことは、先生方には既得権の侵害との意識から非常に難しいわけです。そのため、新しい学部を作って、新しい教育の仕組みを作りそれにふさわしい人材を配置することが、現実的なのではないでしょうか?
鈴木孝夫先生:
新幹線方式なんです。曲りくねった在来線をまっすぐにするなんて不可能だから新幹線方式なんですよね。慶應も新幹線方式でやると当時の学長にいいましたら、そう言ってくれるなと言われました。気持ちはわかるけど、別の言い方をしないと既存学部の反対に合うから出来ないと。新幹線、在来線というと急にイメージが悪くなるからやめてくれと言われましてね。
谷口先生:
そうですね。新しい生命科学部の設置に合わせて、新しい英語教育をするために、慶応大学から鈴木佑治先生をお迎えいたしました。一方、入学生の日本語表現能力不足に対応するために、日本語表現法と科学レポートの書き方の教育プログラムを導入しました。このような大胆な教育プログラムの導入は決して既存の学部ではできないでしょう
鈴木孝夫先生:
そっちでやるのはかまわないけど、俺のとこだけは放っといてくれっていうのは大学の中に多いですからね。
谷口先生:
ええ。ですから、鈴木佑治先生がおっしゃっている英語の教育プログラムを導入を実現するのは至難のわざですよね。すでに既存のプログラムで教育を行っておられる先生は、自分の教育法は最高だと思っていらっしゃるわけです。だから、新しい学部を設置したときに、新しい教育プログラムを導入していくのがいいのではないでしょうか?
鈴木孝夫先生:
私もそう思います。
谷口先生:
事実、生命科学部で新プログラムが成功したわけです。例えば 理工学部では、日本語表現法を勉強するより、専門科目を学ぶということになりますよね。それをあえて英語と日本語を学ぶ新しい教育プログラムを導入することにより、導入期教育全般に活気が満ちてきました。新しい学部だからこそできたことです。生命科学部を国際的に展開するにあたり、その必然性があったんですよね。日本語どうのこうのというより、現実問題、学生の日本語表現法をなんとかしたいというところから始まりました。誰がやるの?ということで、じゃあ言い出した貴方がやるべきでしょうとなったわけです。でも、専門の先生方は、日本語を教えることは専門科目に比べてレベルが低くいとみているんです。
鈴木孝夫先生:
そうです、その通りです。
谷口先生:
2000年に、ちょうど理工学部長をしていた時です。国際化の一環として、理工学部で留学生を受け入れるとういことで、英語基準で入学した学生に英語で日本語を教えなければならないことになりました。でも誰もそんな経験の先生もあられないので、言いだしっぺの私がこの留学生に日本語を教えることになりました。専門の先生方は、色々な理由をつけて担当したがらないんです。留学生に英語で日本語を教えるなんてとんでもないというわけです。私自身10年以上、留学生に英語で日本語を教えているわけです。
鈴木佑治先生:
そうですね。先生、さきほど専門の自然科学の実験は必修ですよね?これがなければ先に進めないわけです。でもレポートを書けなければ授業が成り立ちませんよね。なぜ、自然科学の先生はそれがわからないのでしょうか?
谷口先生:
それは、いままでそういう局面にぶつかっていなかったんではないですか。どんどん学生の学力が低下しているということで、やっと気づいたわけです。学力が低い学生は以前は少なかったのが、今ではそういう学生が大半を占めてきたので、このような授業をやらざるをえなくなったのです。
鈴木佑治先生:
全部をやるのは無理だと、先生がお考えになったのは新学部ですね。そこでやるしかないと。慶應のSFCも同じことですよね、鈴木(孝夫)先生。
鈴木孝夫先生:
そう、その通りだね。だから、古い学部からは協力は一切求めない。だからほとんどの先生は、よそから取ったわけです。SFCを、新しい構想で作ることは邪魔しないけど、その方式を自分たちにも押しつけられたらかなわないというわけです。
そこで、ホントはやったほうがいいということをやっていこうじゃないかとなったわけです。だから英語教育を授業でやらないかわりに、自分の家でテレビやラジオなどで猛烈に勉強しないと授業について行かれません、というレベルの高い授業をするわけです。それは何かというと英語で入門の授業をするんです。その準備は家で寝ないでしなければついていけません。それくらい過酷なことをやらないと国際的に勝負できるような人は生れない。今の政治家のような世界で全く通用しないような人ばかりでは困ります。G7だろうとどこだろうとそこに行って、その場であっと言わせるよう話をしてこなければいけません。
鈴木佑治先生:
医学系の大学と一緒にやるということで、英語で授業をできるようなリーディング大学をお考えだったわけですね?私は谷口先生に期待してたんです。
鈴木孝夫先生:
明治初年に日本が開国して、漢文と儒教と封建的な時代をヨーロッパ的にしたときに先生がいないから、外国人の先生を雇ってもの凄いお金をかけて授業をやったわけです。札幌の学校であろうと東大であろうと、同じです。日本人は外国語を通じて外国技術を獲得することに必死で、留学生も勉強が終わったら海外から日本にすぐ帰ってくるわけです。そして日本で日本語でもって日本の先生が授業をするから英語力は落ちる、当たり前のことですよね。独立国になるためにはそうじゃなければいけないと書いてますよ、夏目漱石は。インドでは、学校はすべて英語だけなんです。だから国際会議でインド人は3時間も話すんですよ。日本人は英語知っていても、話せないわけです。国内でインド人のように英語で話をしていないからです。例えば今日話すことは3つあります、これとこれとこれ。そして時間があれば詳細を話しますとスラスラ言えない。だから同時通訳は困りますよね。
鈴木佑治先生:
よくわかります。通訳も耳が肥えてくるから私ならこう言うのに、とイライラするらしいですね。
鈴木孝夫先生:
そうでしょう。ある国際会議で日本の社会はこんにゃくみたいにブヨブヨしてるっていう日本人学者の発言を、通訳が英語で、寒天と訳したんです。こんにゃくはプリプリしてるけど、寒天では意味が伝わらないですよね?そしたら次に、こんにゃくのラテン語の学名をだしてきたんです。でもそうじゃなくて、こんにゃくを言葉として正確に伝えるよりも、文脈から反発力があるとか別の言葉でいえばいいのです。日本語を英語に同時通訳するのは大変難しいし、同時通訳を聞いていると「それは違う」と思うことがたいへん多いですよね。まだ化学は、客観的で非常に国際性があるからいいですが。
谷口先生:
結局のところ、もっとさかのぼって考えてみると今の学生はあまり本を読んでいないです。
鈴木孝夫先生:
先生のおっしゃるとおりです。
谷口先生:
だから思考力が磨かれてない。インプットされてないからアウトプツトができないんです。
鈴木孝夫先生:
後天的な学習が必要なのに、戦後読書を排除し読む力をなくしてしまったわけです。ですから、読む力がないと面白い話もできないわけです。
谷口先生:
そうですね。何か書こうと思ったら情報収集しなければいけないのに、そこが出来ていないから、表現力がないんです。

鈴木佑治先生の感想

文系と理系の啓蒙家のお話は、時の過ぎゆくのも忘れさせるほど盛り上がったまま、一瞬のうちに終わってしまいました。英語が話せない、書けないなどと英語能力の問題で片付けがちですが、それ以前に、思考が浅薄で日本語でも満足な議論ができないという現実があります。普段から物事を考え母語である日本語で主張することを心掛けがなければ、英語でできるわけがありません。日本語教育と英語教育が連動する創造型の一貫プログラムが必要ということなのではないでしょうか。次号もお二人の対談が続きます。

–「鈴木孝夫先生、谷口吉弘先生、2人の名誉教に聞く」–全3回
113号– 第56回 いまこそ日本の教育を世界レベルへ その2
114号– 第57回 いまこそ日本の教育を世界レベルへ その3(2013年2月20日配信予定)

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