TOEFL Mail Magazine Vol.37 CIEEホームページへ
TOEFLは、エデュケーショナル・テスティング・サービス(ETS)の登録商標です。
e-Language in Action
鈴木佑治先生

1回目:岐阜県岐阜市立梅林中学校と英国Little Lever Schoolとの文化交流
 
 報告者:
上手 留美子(かみで・るみこ)先生
上手 留美子(かみで・るみこ)

岐阜県岐阜市立梅林中学校元教諭
現 岐阜県羽鳥市立竹鼻中学校教諭
山中 司(やまなか・つかさ)氏
山中 司(やまなか・つかさ)

慶應義塾大学大学院
政策・メディア研究科修士課程2年
 

前回、対談形式でお知らせいたしました通り、今回から私の研究室と国内外の幼稚園から大学に至る様々な学校と温めてきた「プロジェクト発信型の英語e-learning」の実践活動を紹介いたします。これらの実践活動は何本かの柱がありその内の一つであるLanguage & Culture Exchangeですが、トップ・バッターとして2001年に岐阜県岐阜市立の梅林中学校とイギリスのLittle Lever Schoolとの実践活動を紹介いたします。この実践活動は、2001年度から2002年度にかけては、慶應義塾大学SFC研究所の受託研究CAMILLE(Cognition, Action, Media in Language and Language Education)の一環として行いました。研究資金を提供していただいた財団法人全国市町村国際文化研修所にはこの場をお借りして心より感謝申し上げます。

この実践活動を担当した中心人物の一人は、現在、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科(SFC)修士課程2年山中 司君です。山中君は1998年に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の総合政策学部に入学し、当時私が担当しておりましたACE (Action, Communication & English)プログラムと称するプロジェクト発信型英語で自分の関心事である「教育」についてのプロジェクトを立ち上げ、徹底的に追究しました。初めは英語を聞くことも話すことも苦労していましたが、2学期目の終わりにはかなり中身の濃い英文のロング・タームペーパーを書き、きちんと発表をし、討論をしていました。その後は私の担当する専門科目を英語で行うモジュラー英語(現在はコンテンツ英語)を取り一段と進歩をしました。2年次の終了時の2000年には、このメールマガジンを発行しているCIEEが主催する海外体験プログラムの一環で、イギリスで日本語を教えることができるインターンシップがあると聞き、山中君を紹介いたしました。採用されるやイギリスに渡りLittle Lever School -Specialist Language College-という言語教育に特化した公立中学校で日本語を教え始めたのですが、私どものACEプログラムを日本語教育に応用できると考え採用しました。結果、すこぶる人気になり受講者が増え、1年の契約を2年に延ばしました。

山中君はまもなく、私どもがCAMILLEプロジェクトにて実験していたインターネットによるビデオカンファランスのシステムを使い、イギリスの中高生を日本の中学生と文化交流をさせてみようと思い立ちました。そこで当時岐阜県岐阜市の梅林中学校で教鞭をとっていらっしゃった、中学校時代の恩師である上手先生にお願いすることになりました。それから私の研究室と上手先生とインターネットやビデオカンファランスをしながら活動を立ち上げて行きました。当時私の研究室のSA(Student Assistant)の前田洋輔君らとテクノロジーを調整しながらの開拓でした。上手先生の岐阜市の生徒と山中君のイギリス人の生徒がどのような交流をしたのか、ここから先はお2人に語っていただきます。

ページトップへ

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
2001-2002言語交換プロジェクト
【山中 司 君による報告】

私は、大学3年の時、休学してイギリスでインターンシップの機会を得ました。私の役目は日本語をイギリスの現地の中学生に教え、1年をかけて日本語教育を赴任校で立ち上げるというものでした。鈴木先生からの助言もあり、実際に生きた場で英語を「使う」道を選んだのです。鈴木先生から、このCIEE、Councilプログラムを紹介していただき、若干の給料をもらいながらイギリスで日本語を教えるという挑戦でした。2000年の夏のことでした。
 私が日本語教師として赴任したのは、イギリスのイングランド北西、マンチェスターの近くのボルトン市というところにある、Little Lever School -Specialist Language College- という地元の公立の中学校でした。細かい話は省きますが、つたないながらも英語で一生懸命に日本語を教えました。そもそも日本語教育というものが全くなかった街です。そこはロンドンではありません。何とか日本語、日本人、そして自分を「認知」してもらおうと頑張ったことを覚えています。通常授業のみならず、近郊の小学校や中学校、高校にも出向き、日本語の出張授業をしました。夜は地域の大人の方を対象としたイブニング・クラスも持たせて頂き、ちょっとずつですが、町中の人が日本や日本語に興味を持ってくれるようになりました。その結果、1年契約が2年に延長となり、私も二つ返事でOKしました。
 授業にも慣れてきた1年目の最後に、プロジェクトとして私の日本語のクラスで行ったのがLanguage Exchangeプロジェクトでした。これは慶應義塾大学の鈴木佑治研究室のサブゼミとの一環として日本側で立ち上げてもらったものです。同じ中学生を結ぼう、そしてお互いにお互いの言語を教え合おうというものでした。筆者が日本でお世話になった岐阜県の当時岐阜市立梅林中学校教諭でいらした上手留美子先生のクラスにプロジェクト参加を依頼し、上手先生のクラスでは総合学習の時間を使って、英語で自分達のメッセージを発信するプロジェクトを行いました。私のクラスでは習った日本語を使って自分達の好きなことの紹介プロジェクトを行いました。それを、2001年7月に実際にテレビ会議で双方を繋ぎ、交流してみたのです。

ビデオカンファレンスの実施日時・プログラム(既に終了しています)
日時:2001年7月13日(金)
英国側:9:00〜9:50 〔時差8時間(イギリス夏時間)〕 日本側:17:00〜17:50
 
1.
梅林中学校1年2組の英語によるビートルズメドレー(イギリス側拍手)
2.
英国側、英国の音楽についての日本語を織り交ぜた英語によるプレゼンテーション
3.
日本側、AET(Assistant English Teacher)のジェームズさんが、日本の生徒に対し、イギリス側のプレゼンテーションを日本語で解説
4.
日本側選択英語の生徒による学校紹介のプレゼンテーション
5.
このあたりで、天候が悪くなり、ネットミーティングが中断。このままイギリス側は授業が終了し、第1回ネットミーティングはこのような形で終わりました。

私は、この一連のLanguage Exchangeプロジェクトの活動実践報告を、1年後、ケンブリッジ大学で開かれたヨーロッパ日本語教師会で学会発表を行いました。非常に多くの先生方、研究者の方々からコメントをいただき、その時に、マンチェスター大学日本語課にいらっしゃる、Yukiko Shaw先生と出会うことができました。その後、イギリスマンチェスター大学との大学間レベルでのLanguage Exchangeプロジェクトがスタートしました。マンチェスター大学とのLanguage Exchangeは、また機会を改めてご紹介できると思います。

ページトップへ

【上手 留美子 氏による報告】
 

私の勤めている岐阜県はなかなか保守的な所です。新しいことにはその負担を先に考えてしまいなかなか挑戦しようとしない傾向にあります。かつてイギリスに行かれていた山中さん経由で、鈴木佑治先生より学校間での国際交流に誘っていただきました。多くの学校の英語科の先生たちに紹介したのですがなかなか積極的に交流したいという学校はありませんでした。そこで仕方なく(今では本当にありがたい経験をさせていただけたと喜んでおりますが)、私の学級の総合学習の時間を使って交流の準備を進めることになりました。それからというもの、私の中ですごい勢いで自己開拓が始まりました。機械は苦手とは言っておられない状況になり、初めてのパソコン操作はイギリスの山中さんにメールで教わりました。デジタルビデオカメラの操作などにも苦労しました。それ以上に、ほとんど英語を使えない中学1年生の生徒たちがいかにして「日本紹介」の発表を作るかは、とても大きな課題でした。しかし、鈴木研究室の皆さんから日本紹介の具体的なテーマやその内容のアドバイスをいただいたり、山中さんより、鈴木佑治先生が大学の英語の授業で使用されていた教科書『Activating College English(鈴木佑治、霜崎實他著、1994年、郁文堂)』を中学生用にアレンジして下さり、「日本を紹介するための簡単な英語の学習」と題して、生徒たちがすぐに発表に使えるような英文(日本語付きで)を紹介していただいたりしました。おかげで生徒たちは英語を使えることを楽しみながら取り組みを展開しました。とはいえ、やはり彼らの英語には限界があったため、その分を画像や実物で補うことを考え、パワーポイントなどにもどんどん挑戦していきました。加えて、英語の先生やAETの方にも積極的に質問して、少しでも伝わるような発表にしょうと主体的に取り組みました。それは総合学習の時間に留まらず、昼休みや放課後、時にはその他の授業まで狙われたほどでした。それほどまでに生徒たちの意欲を駆り立てたのは、やはり遠く離れたイギリスの学校の生徒たちと交流できるという環境が与えられたからだと思います。
 7月13日にテレビ会議という形でリアルタイムでの交流を行うということが決まると、生徒たちの期待はますます膨らみました(私の不安はそれ以上に膨らみました)。日本紹介に加えて、イギリスの生徒さんたちに喜んでもらえるようにと「ビートルズメドレー」を英語で歌う練習も毎日行いました。当日の夕方、部活を早めに切り上げて集まってきた生徒たちはすでに嬉しそうでしたが、イギリスとつながって、向こうの様子が画面に見えると、向こうもきっとこちらの画面が見えているだろうと、ぴょんぴょん跳ね上がったり手を振ったりと興奮状態になりました。また、自分たちがビートルズメドレーを歌う時には、少し緊張感も走りました。が、すぐに向こうから拍手が聞こえてきたので、思わずにっこりしました。その後の向こうからの発表は音声も画像も悪く、なかなか聞き取れないことが多かったのですが、生徒たちは「OK、OK」と積極的に反応していました。途中で雷が発生しプログラムは中断したにも関わらず、生徒たちはとても大満足して終わることができました。それは、ほんの少しの時間ではあったけれど、確かにリアルタイムでイギリスの生徒さんたちと交流することができたことや、自分たちの取り組んできたことが失敗も多かったけれどそれなりの成果を挙げられたという手応えを感じたからだったと思います。
 それ以後も、生徒たちの「国際交流」への意気込みはどんどん高まっていきました。それはテレビ会議で交流したイギリスの生徒さんたちにさらに自分たちの国の生活や文化を伝えたいという思いもありましたが、発信毎に山中さんのイギリス人の生徒の皆さんから発表に対する評価をいただけたことにも起因していると思います。おそらく、学校内だけで行う総合学習では、こんなに失敗や苦労もない代わりに、こんなにも大きな充実感も味わうことができなかったと思います。生徒たちだけでなく、私自身の世界が大きく開かれていくきっかけとなりました。
鈴木先生を始め、慶應大学鈴木研究室の方々に、このようなよき機会を与えていただけたことを心より感謝いたしております。

ページトップへ

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

最後に、上手先生は数学を担当されていると伺っております。授業はもちろんのこと、学級活動のすべてにおいて、生徒の関心と創造力および想像力を伸ばすことに多大の関心をお持ちです。最初に会ったときから、山中君は地方出身者としては珍しいほど積極的で未知の世界に挑戦する学生でした。これは過去におそらくそのような教えに触れる機会があったからにほかなりません。上手先生の生徒の様子を伺うと山中君の原点をそこに見出しました。日本は今、自分の意見をきちんと言うように世界から期待されています。その為にはまず自分の意見のよりどころとなる良き実践活動と、そこから生まれる健全な考え方が必要です。岐阜市のこれらの中学生はイギリスの中学生とそのような場を、中学生という多感な時期に得られたという経験はその後にきっと生きてくると思います。それは、英語や日本語をぺらぺら話すようになることが目的ではなく、生徒、先生が一体になって何かに挑戦し、それを発信するときに現れる生き生きとした積極的な態度が育成されることです。ビデオカンファランスにて上手先生の生徒が見せた笑顔にはそれらが見られたのです。
山中君は、イギリスでの実践活動をケンブリッジ大学で開かれた学会で発表し、その後は私の研究室のTAとしてプロジェクトに関わる学生のまとめ役としてまいりました。今回紹介した実践活動を実現する為には大学生、大学院生などのサポートが必要です。上手先生は現在岐阜県羽島市の竹鼻中学校に移られそこでも新たな文化交流を行っておられます。その献身的な姿勢に心より敬意を表します。今回の実践活動につきましてはこちら(http://www.yslab.sfc.keio.ac.jp)のサイトをご覧下さい。また、質問・コメント等は鈴木にお寄せ下さい。

ページトップへ

上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。 最新情報は関連のウェブページよりご確認ください。
©2005, CIEE All Rights Reserved.