TOEFL Mail Magazine Vol.37 CIEEホームページへ
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特別企画〜日本でのTOEFLテスト40年を振り返って〜
現在90カ国以上の国で年間約72万人が受けているTOEFLテスト。そのスコアは全世界の5,000以上の機関に利用されており(注1)、なお増えつつあります。今年の9月から(日本では2006年以降)次世代TOEFLテストが導入されるにあたり、40周年を迎えたTOEFLテストの歴史を、開発の経緯、データ、当時のエピソードなどを交えながら、シリーズで振り返ってみたいと思います。

第2回 「手探りの60年代」
1964年にTOEFLテストが始まった当初、日本ではどのくらいの人が受験していたのでしょうか。現在あるデータを見る限り、当時のETSデータは、現在のTOEFL® Test and Score Data Summary(注2)ような、毎年のアニュアルレポート(7月から翌年6月の12ヶ月分)のデータを計ったものではなく、受験者数の累計をまとめたもので、期間も12ヶ月のものもあれば、15ヶ月のものもあるなどまちまちでした。このことからも当時のテスト受験者に関するデータ処理において、手探りの様子が伺えます。

TOEFLテスト参考資料最初のデータによれば、1964年2月から1966年の1月までの2年間にTOEFLテストを受験した日本人(注3)の数は1,710人でした(注4)。この1,710人は、英語圏に飛び出そうとする日本人の先駆者とも言えるでしょう。その時、全世界でのTOEFLテスト受験者は8,692人でした(注3)。

【写真:当時ETSからFAXにて送付された、1964年2月から1966年1月までの、Native Country別の受験者数と平均点のデータ (アジアの箇所を抜粋)】

1964年から1969年6月までの約5年間のTOEFLテストの累積受験者数は、日本人は7,148人という数字が残っています。(注3)。表から読み取ると、1964年の開始からの2年と、1967年以降の2年間を比較してみると、日本人の受験者数が約2倍になったことが分かります。

全世界では同じく1964年から1969年6月までに、累計で11万人強の受験者がTOEFLテストを受けています(注3)。1967年以降、大幅に受験者が増加したことが見て取れます。つまり、1964年のTOEFLテスト開始以降5年間で、テストの認知は世界中で急速に広まったといえるでしょう。
<次号に続く>

注1: 'TOEFL® Information and Registration Bulletin 2005-2006(PBT,CBT用)より
注2: 'ETS作成のTOEFLテストに関するデータ報告書。1992年以降のものはこちらからダウンロード可能。
注3: 日本人とは、Native CountryをJAPANとする受験者を指す。
注4: 当時ETSからFAXにて送付されたデータ。誌名不明。国際教育交換協議会(CIEE) TOEFL事業部保管

TOEFLテスト受験者数の推移

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● 当時の日本
 

TOEFLメールマガジンイメージ画像60年代の日本は戦後復興、高度成長の時代。文化の面でも様々な変化がありました。1962年には国内で初めて電子レンジの量産が開始されました。1966年には当時世界中で絶大な人気を誇る英国出身バンド、ビートルズが来日して大騒ぎとなりました。翌1967年には日本の人口が1億人を超えました*。

【写真:シャープ株式会社ホームページより引用】
*総務省統計局ホームページより

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● 当時を振り返って
 

今回は、1970年代に日本でTOEFLテストを受験された方のエピソードをご紹介します。

私は大学院の博士課程で米国留学をするために、渡米の前年に1回だけTOEFLテストを受験しました。今でも551点という点数まではっきりと覚えています。その頃は日本でもほとんどTOEFLテストのことは知られておらず、もちろん問題集も何もありませんでした。そのため、とりあえず英語を毎日聞いて、それだけでテストに臨みました。当日はテスト会場の隣でビルの工事をしており、ひどい雑音・騒音の中でListeningセクションを受けなければなりませんでした。それには受験者もおかしいと言って抗議をしたのですが、仕方がないとのことで取り合ってもらえませんでした。
私の隣でテストを受けていた受験生は帰国子女のようで、さらさらと問題を解いていました。ところが私はさっぱりわからず、自信をなくし落胆して帰りました。その日のうちに、当時私に留学を勧めてくれた指導教授に「だめでした・・・」と電話をしたのを覚えています。その時先生は、「まあ、誰も期待してないさ」と慰めてくれました(笑)。
TOEFLテストを含め試験は往々にして、当日「できなかった」と思ってもできていたり、その逆もあります。私は結局551点という結果で、晴れて米国に留学し、希望する専攻分野の勉強ができました。

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