今回から数回にわたり、メルボルン大学のMelbourne
Institute of Asian Languages and Societies, Sidney Myer Asia
Center の関口幸代先生の日本語クラスと慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の長谷部担当のスキル英語クラスとの、2004年5月から現在に至るまでのLanguage
Exchange Projectについて報告いたします。今回は日本側の鈴木佑治研究室に所属している私の立場から、この交流projectの始まりのきっかけとなった2004年度春学期の活動に焦点を絞ります。次回から今までの交流活動について、交流の段階別にメルボルン大学の関口先生を交えて説明します。これらの報告を通して大学教育におけるLanguage
Exchange Projectの一例を紹介し、これからLanguage Exchange Projectの実践を考えている先生方の参考にしていただけたらと思いつつ、同時にご意見ご感想ご質問をお寄せいただければ幸いに存じます。
先に鈴木佑治先生より、鈴木佑治研究室と関口先生とのご縁については紹介がありましたが、関口先生と私のご縁は、鈴木佑治研究室に送信された2004年4月下旬の1通のe-mailからでした。それは、メルボルン大学とSFCとの接続実験実施に関する内容で、私自身が2004年4月からSFCの教員となり、新学期の英語の履修業務も一段落して、鈴木佑治研究室の研究打ち合わせに始めて出席した日でした。しばらく以前から鈴木先生と関口先生との間でLanguage
Exchange Project案が進行中で、ちょうど5月の連休明けから数回にわたってポリコムで接続実験をしてみようという段階にきていました。私は2004年度4月より訪問講師として採用されましたが、それ以前は鈴木佑治研究室の訪問研究員として、英国のマンチェスター大学と当時非常勤として英語を教えておりました千葉商科大学政策情報学部とのLanguage
& Culture Exchange Projectを担当しました。その関係で、2004年5月18日の初回接続実験の対象クラスの一つにSFCで私が担当するスキル英語プログラムのAレベル(TOEFLテスト<TOEFL-PBT>スコア
426〜450)の授業が選ばれ、メルボルン大学とのLanguage Exchange Projectの実験授業をすることになりました。上記の写真はその様子を示す一コマです。実践実験は成功し2005年4月より正規の授業として継続されるに至っております。以下、その接続実験をSFC側より報告いたします。
この接続実験のお話をいただいた当時、長谷部担当のprojectクラスの履修生約10名は、自分達の視点から、「日本文化・日本の生活」を海外の大学生にWEB上で紹介・発信していくprojectの主旨に興味を抱きつつ、新学期に入ってやっと授業にも慣れてきた段階で、まだTOPICが絞りきれていませんでした。自分達からWEB上で紹介・発信する「日本」を海外の大学生に知ってもらい、興味を抱いてもらい、そこから「交流の糸口」を探そうというコンセプトのもと、project授業は一見順調に進行しているようでした。しかし、実際は自分達が発信する対象者が明確になっていない、「姿の見えない未知の存在」であるというのは、学生自らのmotivationを高めていくにはなかなか厳しい状況でした。それでも「日本の大学生の日常生活」・「体育会の活動」・「自分の育ってきた精神史」・「折り紙にこめられた日本人の心」等とテーマは多様性があり、彼らなりにかなり頑張っていたようです。
一方この接続実験に参加するメルボルン大学の学生は中級日本語を履修していて、授業を通して日本社会・日本文化の様々なトピックから自分の興味分野を絞り込み、リサーチし、発表も終わり、学期末に差し掛かる直前で、内容的には完成度が高くなっている時期でした。学期の時期が微妙にずれているため、当然ですが、授業の進行状況・学生のプロジェクト内容の完成度にもメルボルン大学とSFCとで大きなズレが生じています。簡単にいえば、メルボルン大学側は、いまやプロジェクトの完成目前、日本語にも慣れてきて、今まさに絶好調で、SFC側はやっとエンジンをふかし終わって一般道路に乗り入れてきた、ウォームアップ終了直後という感じです。
この時期のズレからくる学生の温度差を解決するために、メルボルン大学側は、自分のリサーチについて色々と日本語で質問したい、つまりトピックの焦点が定まっている段階で、SFC側は、英語もまだ慣れておらず、TOPICも絞りきれていない段階であることをふまえ、この「差」を活かした交流内容を関口先生とe-mailで何度も相談しあいました。その結果、接続実験の1時間の中で、メルボルン大学側はトピック別3〜5人ずつの4チーム、SFC側は10名1チームとして、今回の交流実験では使用言語は日本語で、お互いに自己紹介をし合い、少しでも打ち解けあった後でメルボルン大学側からの質問タイム、次にSFC側から今後のproject内容の簡単な説明、そしてその完成品はSFCの学期末にWEB上で発表し見てもらう、ということに落ち着きました。 事前の数回の教員間での接続実験の末、2004年5月18日9:00a.m.〜10:00a.m.の接続実験は無事に終了しました。このときの接続実験の1時間がどのようなものであったかは、この報告の最後に添付しました、参加したSFC側の学生のコメントから直接皆様にご想像いただきたいと思います。
結論から先に申し上げると、この春学期の一度だけの接続実験における1時間の交流を突破口として、SFC側の履修生の自分のprojectへの取り組みが、「楽しみながら」かつ「真剣」なものへと一気に山を頂上めがけて登り詰めていきました。一度それも1時間だけ交流した相手に「自分の中のproject」を伝えることの喜び、それがその唯一の動機付けだったといっても過言ではないでしょう。接続実験が行われたのは、今回は日本語であったにもかかわらず、SFC生のその後の英語への意欲が高まったのです。同世代の仲間と交流することの大切さを実感した接続実験でした。
このとき参加した学生たちのコメントがきっかけとなって、春学期1回の接続実験から、秋学期には3回の交流、そして2005年度春学期には全13回の授業のうちの7回まで交流セッションを行うまでになりました。この背景には、鈴木佑治先生、関口先生、システムサポートをご担当下さった皆様、協力してくれた大学院生、学生の皆さんの多大な労力とご助力があります。次回からは、これらの皆様に感謝をしつつ、各方面から皆さんをご紹介しつつ、報告を進めさせていただきたいと思います。次回は関口先生がメルボルン大学側の視点でこの一連の流れを報告してくださいます。以下、SFCの学生からのフィードバックをそのまま紹介いたします。
|