---TOEFLテストの受験者だったのは何年前ですか。また受験した時の年齢や背景について教えて下さい。
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最初の受験は97年。更に1年半前にも受験しています。97年に受験した時は高校の教員で、アメリカの大学院に留学するためでした。 |
---留学しようと思った理由は何ですか。 |
英語の教員だったので、自分の英語の力を高めたいという気持ちが強かったです。専門的な知識を学びたいということもありましたが、英語力を高めるには日本で勉強するよりも英語が話されている国に行って住む方が効果的だと思い、当時勤務していた高校を退職して留学しました。 |
---かなり勇気が要りませんでしたか。せっかくの仕事を辞めてしまうことに不安はありませんでしたか。 |
初めて退職する人はそうかもしれませんね。私の場合はその前に銀行に勤めて退職した経験があり、その時のハードルは高かったです。この先どうなるのかな、と。でも、辞めても何とかなってきています。自分を信じて努力を続けていれば道は開けていくものです。無意味な退職ではなく、大学院に進学して学位を取って帰ってくるので、プラスの成長があるから大丈夫だと信じていました。 |
---不安よりも、まず「やりたい」という気持ちが大きく、自信のもとに旅立ったということですね。 |
そうです。30代前半のことでしたが、そんなことができるのは年齢的にももう最後かなと思いました。仕事を辞めて留学ができるのはその年齢が最後だと。 |
---渡辺さんは英語の教員になる前に銀行員を経験されているとのことでしたが、その時から既に「アメリカ」や「英語」を意識していたのですか。 |
学生時代から海外に対してはとても興味がありました。就職した銀行も、海外に一番支店が多いところを選びました。将来的には海外と関わって仕事がしたいと思っていたのです。海外で生活するのは修士号を取るためのアメリカ留学が初めてでした。旅行は数多く経験していたので海外に「行く」ことには抵抗はありませんでしたが、「住む」となると大分違いますよね。海外に「行く」際の壁は低かったと思いますが、「生活」となると全く違うので準備は結構大変でした。 |
---自分の中の「英語を好き」とか「英語」という軸は、学生時代、銀行員時代、教員時代、そして今、とずっとあったものなのですね。 |
英語は中学の頃から好きでした。自分との相性ってあると思いますが、英語を通してコミュニケーションを図ったり、英語を通して情報を得たりするのは楽しいと思います。 |
---実際に留学生活が始まった後はどうでしたか。
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アメリカの映画を見ていると、大学の授業風景が出てくることがありますよね。そういう場所に実際に自分がいるんだ、と思うととても嬉しかったのを覚えています。今振り返ってみると、日本の生活とはかなり違うので、貴重な経験になりました。学校も、生活も。アメリカの社会や文化の中に入り込むということですから。 |
---学校で一番苦労したことは何ですか。 |
毎日のリーディングも大変でしたが、プロジェクト(課題)への取り組みが一番大変でした。まずサブジェクト(調査対象者)を探し、その人の家に行き、インタビューをしてデータを取り、それをまとめる…というような流れなのですが、とにかく協力してくれるサブジェクトを探すところから一苦労でした。しかし、今思えば、その時は勉強に専念できたのです。仕事をしないで授業に出て勉強だけをしていればよいというのは、幸せなことでした。 |
---留学生であるが故の苦労はなんでしたか。 |
アメリカ人学生の何倍も時間をかけなければならないというのが留学生のきついところです。でも、多くの留学生は勉強に専念できる環境にあります。これに対してアメリカ人の院生は、仕事をしながら学んでいる人が多く、時間が限られています。つまり、留学生の場合は、時間がかかるけど時間はある。アメリカ人学生の場合は、留学生より速く読んだり書いたりできるけれど勉強にかけられる時間が限られている。そういう意味で、お互いにハンディキャップを持っているんじゃないかな、と私は感じていました。 |
---学校以外での生活について教えてください。 |
南カリフォルニアにはアジア系の人が多く、アメリカ人以外にも幅広く友達ができました。生活面では、日本とは違うことが多かったですね。スーパーでの買い物、電話の契約、アパートの契約…。電話の契約一つにしても、日本とは違うんですよ。 |
---トラブルや、困ったことはありませんでしたか。
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大きなトラブルはありませんでしたが、日本では考えられないことが時々ありましたね。例えば、お役所の人が自分の仕事のことをよく分かってない、というような。でも日本と違って、窓口が一つではないので、一つのオフィスでダメだったら別のオフィスに行けばいい、という面があります。例えばソーシャル・セキュリティー・ナンバー(社会保障番号)の取得にしても、最初に行ったオフィスの人が分かっていなくて理不尽なことを言ってきても、別のオフィスに行けば問題なく取れたりしました。DMV(The
Department of Motor Vehicles:陸運局)で車の免許を取る時も、こっちのDMVが厳しかったらあっちのDMVに行けばいい、というように他の選択肢が出てきます。そういう意味では、行き詰まることはありませんでした。ダメといわれても他の道があるのです。単位の取得に関しても、あくまでもケースバイケースですが、クラスメートの留学生が、事情があってコアになる授業の一つが取れなかった時、他の授業に変えてもらったというようなことがありました。 |