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生涯英語学習のすすめ For Lifelong English

様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
[For Lifelong English|生涯学習としての英語]バックナンバーはこちら>>

第8回
英語で落語!?噺家 林家染太さんに聞く! その1

鈴木佑治先生

鈴木 佑治
慶應義塾大学環境情報学部教授  兼 
同大学大学院 政策・メディア研究科委員


今回のインタビュー

林家染太さん

林家染太さん愛媛県松山市出身。
本名、荻山志行 (おぎやましこう)
1975年10月5日、大学教授の父と薬剤師の母のもとに長男として生まれる。
幼少の頃から人を笑わせる事が大好き。
松山北高校では応援団で活動。
関西大学入学後、落語研究会に所属、落語に魅了される。
在学中は学業と落語を両立し教員免許取得。また学費を稼ぐために人力俥の俥夫(京都観光案内)から家庭教師まで、現在の芸事に繋がるアルバイトにも積極的に励む。
英会話学校 「HOEインターナショナル」では英語落語を勉強し、在学中にアメリカでの海外公演を果たす。(地元の新聞、テレビで絶賛される)
2002年に噺家、林家染丸(上方落語協会 副会長)に弟子入り。
3年間の厳しい修行生活を経て、落語会、各イベント、テレビ、ラジオを中心に活躍中。
2005年夏、ニューヨーク公演を果たす。
2007年夏、カナダ・バンクーバーにて英語落語公演を成功させる。

ホームページ『林家染太の俺色にソメタ!』 爆笑ブログ更新中です。




林家染太さんと鈴木佑治先生 落語と聞いてどんなイメージが湧くでしょうか。日本の古典文化と感じますか?それとも身近なエンターテインメント?今回のFor Lifelong Englishは、落語を英語で発信するというユニークな噺家さんのうわさを聞き、吉本興業&上方落語協会に所属の林家染太さんにお話をうかがいました。
英語が特別得意であったわけでもなかった林家さんが、なぜ英語落語を始めたのか。それにより何を得られたのか。発信する「こと」があってはじめて、伝達ツールとしての「英語」が必要となってくる、それをまさしく実践されている林家さんは、ますます大きな夢を持って笑いのある人生を進んでいかれることでしょう。 終始笑いの絶えないインタビューの中に、たくさんの前向きな気持ちが詰まっていました。

第一回目となる今回は、落語との出会いについてお話を伺いました。
※笑いあふれる対談でしたので、笑いのあった箇所にはを挿入しています。

落語との出会い
鈴木 上方落語会の吉本興行所属で現在大阪にお住まいとのことですが、お生まれも大阪ですか?

林家

いえ、地元は愛媛県松山市、道後温泉の近所です。いい温泉につかって、ぶくぶくと太り育ちました。
鈴木 なぜ落語界に進もうと思われたのですか?
林家 もともと、漫才とかお笑いが好きだったんです。田舎の育ちですし、僕らの世代で落語は身近ではなかったのですが、中学一年生の時に、友達に「落語って面白いらしいで」と、当時爆笑王と言われた桂枝雀師匠の落語会に誘われて、ちょっと変わった中学生だったので一緒に行ったんです。すごいカルチャーショック受けましたね。僕の父親ぐらいの年代の人が、僕らをドッカドッカ爆笑させるんですよ。
鈴木 少年、林家染太さんが、同じ日本文化にカルチャーショックを受けたわけですね。
林家 はい。「こんなおもろいものがあるんかぁ」と思って。それから図書館に通って、落語のテープやCDを借りたり、本を読んだりしました。図書館にリクエストカードがあったので、それに書いてどんどんポストに入れていました。だから今、松山の図書館で落語の本やCDがやけに多いのは、僕のせいやと思いますよ。
鈴木 そのときから既に落語界に貢献してたんだ。
林家 少しずつ落語を覚えては、ホームルームで披露していました。人を笑わすとか、楽しませることが好きやったんですね。将来も人に楽しんでもらう商売につきたいな、という思いがあり、高校時代にはもう落語家さんになりたい、という漠然とした青写真は持っていたのですが、いきなりプロになるのは怖かったので、とりあえず大阪に行こうと思いました。両親にも、いきなり芸人になる、なんて言うたら、頭がおかしいちゃうか、と思われるので、とりあえず大義名分を考えて、先生になると言って、関西大学の文学部国文学科に入りました。先生になりたい言うて怒る親はいませんので。
鈴木 国文学科、いい専攻ですね。落語をするにしては、狙っていましたね。
林家 はい。江戸時代のお笑いみたいなことをやりたかったので。でも、ほとんど授業は自主休講いたしまして、落語研究会、落研に入って寄席ばっかり通っていました。
鈴木 それは、生きた国文学ですよね。井原西鶴だって夏目漱石だって、落語を聞いてないわけないですよ。
林家 そりゃそうでしょうね。大きく影響を受けていると思います。
林家染太さんと鈴木佑治先生大学三回生の時、両親にちゃんと授業を受けていないことを気づかれ、問い詰められて、「実は、落語家になりたくて」と言うた瞬間に、「もう家に帰って来なくていい」と言われました。父親は愛媛大学の工学部生産機械科の教授で厳しい人やったので、その時からすべてのライフラインが止まりましたね。
それからはもう、必死にいろんなアルバイトをしました。家庭教師、マクドナルドの店員、それから京都東山で人力車引っ張ったりもしました。南禅寺とか平安神宮とか。
鈴木 ああ、ありますね、そこでまた色々学んだのですね。
林家 そうなんです。よう外国人の方が来はるので、英語しゃべれませんから”This is Nanzenji”, “This temple is too old.”, ”Heian shrine is too old.”とか、片言の英語で説明していました。京都は坂が多いし、また乗りたがる人は、なぜかごっつい人が多いんですよ。
鈴木 1人ならいいけど、2人乗ったりしてね。
林家 そう、2人乗りなんですよ、イタリア人2人300キロとかね。もう押せないんですよ。ちょっと降りてくれ言うて一緒に押してもらったりとか。
鈴木 それでネタができますね。
林家 そうですね、実際に落語の中でも、人力車は出てくるんです。明治時代の初めですね。だから落語の勉強になるかなと思って。
鈴木 人力車ってガソリンいらずで、歩くだけでいいですし、エコロジーでこんなにいいものはないですよ。若い人は、みんな人力車引っ張ればいい。バスもタクシーもいらない。
すると、両親には認められないままだったのですか?
林家 いえ。僕はこの世界に入るとき、親と喧嘩して入るのは嫌やったんです。親にも納得してもらおうと思っていました。あるとき両親から、「あなたの熱意は分かった。ほな、誠意を見せなさい。とりあえず大学の卒業証書と、国語科の教員免許を持って来なさい」と言われて、初めて必死に勉強しました。
教育実習で高校生の前で授業をしたんですけど、漢字が読めないんですね、僕は。それで、『雑木林』という漢字ぱっと見たとき、『ざつぼくりん』と読んだんですよ。ものすごい生徒がくすくす笑ってて。担当教員が笑って「『ぞうきばやし』や」て言うて。ほとんどもう漫談のような授業をやっていました。
鈴木
林家 そのときは、もう落語家になると思うてましたんで「最後の授業は落語します」言うて、教卓に登って、英語落語したら一番ウケました。国語の最後に英語落語。担当の先生は、「訳わからん」言うてました。
鈴木 どんな感じでやったのですか?
林家

「Eye Doctor」というお話で、ちょっと目の調子が悪くて、お医者さんに行くという話なんですけど、そのお医者さんがちょっと変わっているという・・・

“Hello, hello, isn’t eye doctor here? Isn’t eye doctor here?”
“Oh, yes, oh, yes, what can I do for you?”
“Yes, I have something wrong with my eyes! I cannot read a newspaper!”
“Oh, that is too bad. O.K., just a moment, Doctor! Doctor! We have a patient. Patient is here!”

・・・と、こんな感じでやっていくんです。
鈴木 それ自分で考えたんですか?
林家 いいえ、もともと「犬の目」という古典落語があって、それを英訳したものです。
鈴木 なるほど。それでやっと教員の免許が取れたのですね。
林家 はい。5年かかったのですが卒業証書も無事手にして、やっと親に出しました。
鈴木 けじめはつけたのですね、ちゃんと。

● 染太さんの小噺 その1 ●
林家:
ほんま、英語で色んな失敗ありますよ。この間カナダへ行った時は、バンクーバー空港で税関を通る時に、”What is your business ? What is your occupation?”て商売を聞かれたときに、落語家って何て言えばいいのか困るんですよ。とりあえずコメディアンだろうと”I am comedian”て言ったら、発音悪くて通じなくて、”You are CANADIAN?”て言われましたよ。”No,No,No,No,No, COMEDIAN.”
鈴木:
林家:
前も飛行機乗った時に、”coffee or tea?”て聞かれて、僕はブラックが好きなんで、”Excuse me, I am AMERICAN.”って言っちゃったんですよ。そしたら、ものすごう笑われて。どう見ても日本人やのにって。
鈴木:

鈴木の一口コメント
英語で「落語」をすることは大変なチャレンジです。まず、「落語」ということばじたいをうまく表現できる英語のことばがありません。英語圏のcomedyとは大分違いますからrakugoということばをそのまま英語に投入するしかないでしょう。相撲文化が理解されてsumoということばが英語になりましたが、「落語」が理解されたらrakugoという語が英語に定着するでしょう。外国の税関で “I am a rakugo comedian.”と言えばすぐ分かってもらえるようにさせたいものです。染太さんはそこに挑戦しています。彼の持ち前の明るさと行動力をもってすれば多くの落語ファンが海外にもできるでしょう。かくいう私も少年時代からの落語ファンであり、アメリカン・コメディーのファンです。染太さんの人力車の話は、1970年代のスーパー・コメデイアン、Bill Cosbyの”Driving in San Francisco”を髣髴させてくれました。

 

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