TOEFL Mail Magazine Vol.66
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生涯英語のすすめ For Lifelong English

様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
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第9回
英語で落語!?噺家 林家染太さんに聞く! その2

鈴木佑治先生

鈴木 佑治
立命館大学生命科学部生命情報学科教授


今回のインタビュー

林家染太さん

林家染太さん愛媛県松山市出身。
本名、荻山志行 (おぎやましこう)
1975年10月5日、大学教授の父と薬剤師の母のもとに長男として生まれる。
幼少の頃から人を笑わせる事が大好き。
松山北高校では応援団で活動。
関西大学入学後、落語研究会に所属、落語に魅了される。
在学中は学業と落語を両立し教員免許取得。また学費を稼ぐために人力俥の俥夫(京都観光案内)から家庭教師まで、現在の芸事に繋がるアルバイトにも積極的に励む。
英会話学校 「HOEインターナショナル」では英語落語を勉強し、在学中にアメリカでの海外公演を果たす。(地元の新聞、テレビで絶賛される)
2002年に噺家、林家染丸(上方落語協会 副会長)に弟子入り。
3年間の厳しい修行生活を経て、落語会、各イベント、テレビ、ラジオを中心に活躍中。
2005年夏、ニューヨーク公演を果たす。
2007年夏、カナダ・バンクーバーにて英語落語公演を成功させる。

ホームページ『林家染太の俺色にソメタ!』 爆笑ブログ更新中です。




林家染太さんと鈴木佑治先生 落語と聞いてどんなイメージが湧くでしょうか。日本の古典文化と感じますか?それとも身近なエンターテインメント?今回のFor Lifelong Englishは、落語を英語で発信するというユニークな噺家さんのうわさを聞き、吉本興業&上方落語協会に所属の林家染太さんにお話をうかがいました。
英語が特別得意であったわけでもなかった林家さんが、なぜ英語落語を始めたのか。それにより何を得られたのか。発信する「こと」があってはじめて、伝達ツールとしての「英語」が必要となってくる、それをまさしく実践されている林家さんは、ますます大きな夢を持って笑いのある人生を進んでいかれることでしょう。 終始笑いの絶えないインタビューの中に、たくさんの前向きな気持ちが詰まっていました。

第二回目となる今回は、英語落語を始めたきっかけや、上方落語と江戸落語との違いなどについてお話を伺いました。
※笑いあふれる対談でしたので、笑いのあった箇所にはを挿入しています。

英語落語を始めたきっかけと落語界入門
鈴木 英語落語は、どんなきっかけで、誰に習って始めたのですか?

林家

昔から父の職業がら家に留学生が遊びに来たりパーティしたりと、結構インターナショナルな環境だったので、英語にとても興味はあったんです。HOEインターナショナルという英会話学校があって、たまたまチラシ見て入ったんです。そしたら、桂枝雀師匠もそこで習っていたという、なんという偶然。そのときの英語の先生が、「落語研究会に入っているんやから、英語落語なんかしてみんか?」と誘ってくださって、やりますやります、と。そうして一緒に訳してもらうようになりました。
僕がそんなに英語が達者ではないので、中学生でも聞いてわかるような単語、センテンスを使おうといつも思っています。大阪のおっちゃん、おばちゃんが聞いてもわかるように、難しい言葉は言い換えてつくります。だから高校生なんかは、すぐによう笑うてくれます。
鈴木 とてもいいことですね。僕は英語の基礎は中学校の英語で十分だと思っています。
林家 はい。学生時代には、まだアマチュアだったんですが、山本先生という英語の先生が、一緒にアメリカ・シアトルとアトランタに英語落語の講演に行こうって誘ってくださいました。プロの落語家さんと、外国人の落語家さんと一緒に、僕は学生の身分で連れて行ってもらいました。教育実習が終った次の月でした。
シアトルで「バンバーシュート」というパフォーマンスのお祭りがあって、全世界からいろんな方が集まって、いろんな大道芸があったり、ブラジルの人はカポエラやったりという中で、2000〜3000人入るホールで、英語落語やらしてもろたんですよ。落語と三味線、太鼓、全部持って行ってやったら、もう大爆笑でした。また外国の方はすごく笑っていただけるんです。楽しもう、という気で来ていますから、日本のプレーヤーのことも乗せてくれるんですね。とても感銘を受けました。こんなに楽しいことない、やっぱり落語家になりたいなぁと思いました。そうして卒業するときに、すごく敬愛していた林家染丸師匠(上方落語協会 副会長)に弟子入りしました。
鈴木 なるほど。正式に今度は落語の世界に入門したんですね。学生時代の落研と、やはり違うものでしたか?
林家 まったく違いますね。入った時に師匠に「君はなんぼネタ持ってんねん」と聞かれて、「30ぐらい持ってます」と言うたら、「全部とりあえず忘れなさい。今からお金の取れる芸をしないと。」と言われて。それから一から修行です。
鈴木 なるほど。今まで自分なりに練習していたものは、やはり通用しない、と。
林家 はい。まず落語家の弟子修行があります。落語家になるには、この師匠のもとに居りたい、落語の芸をぜひ教えていただきたい、と思う師匠のもとに直接弟子入り志願をしに行きます。これは一期一会の世界です。その時その師匠が機嫌が悪かったり、弟子がたくさんおったら、断られてしまう。この世界は「この師匠がアカンからあの師匠」というのはまずできません。「じゃ誰でもいいんかいな」という話になりますから。林家染太さんと鈴木佑治先生ですから、ほんとにご縁で。僕の場合は、師匠が階段から出てきた時に「弟子入りさせてください」と、もう必死で「こんだけ師匠のことが好きです」て言うて。師匠も機嫌が良かったからかな。その時はお蔭様ですんなり、「じゃ、とりあえず、履歴書もっておいで」と言われて、汚い字で書いて持って行ったんです。そしたら僕の履歴書見て、「ほえー」と。「何か字間違えてますか?」と聞きましたら、そうでなくて、僕の本名は荻山志行と言いますが、うちの師匠の本名が木村行志なので、名前の漢字がまったく一緒やったんです。これで「お前、俺の字も珍しいけどお前の字もこれ珍しい。一緒の字やないか。親に感謝せぇ。これで弟子とってやるわ。縁起がいいわ」と、弟子入りを許されました。
鈴木  縁って、本当にあるんですね。いい名前つけてもらいましたね。
林家 ええ、本当に親に感謝です。それから3年間、内弟子修行という落語界の丁稚奉公がありました。掃除、洗濯、炊事など全部やって、よう怒られました。
鈴木 日本的な落語界の基本を徹底的に仕込まれたわけですね。江戸時代から続いている伝統ですから、厳しいでしょう。
林家 はい。落語は二の次なんです。まず師匠の気を読みなさい、と。師匠が次は何を欲しているのか。「おい」と言うたら、ぱっとお茶が出るように。またそのお茶があったかいのか冷たいのか、ほうじ茶か緑茶かそば茶か、そこまで読むのです。
鈴木 厳しい修行がないと、人を笑わすことはできないのでしょうね。
林家 ええ。うちの師匠がよく言います。「いい落語をしたいとか、面白い落語をしたいと思うたら、まず、いい人間になりなさい」と。『芸は人なり』と申しまして、どんなに隠してもその人が出てしまう。せこい人はせこい芸になってしまうし、がめつい人はがめつい芸になる。だからまず、人間を磨きなさい、と。
鈴木 私もね、20代や30代の若い先生に「いいかい、人間は生きたようにしか教えられないから、間違ったらいつでも自分を反省しないといけないよ」とよく言います。
林家 おっしゃるとおりです。よく見せようとしても、ぼろが出てしまいますから。
鈴木 立派な修行ですね。いろいろと不慣れなことやご苦労もあったでしょう。
林家 修行中は親のありがたみもよう分かりました。よく手紙を貰って読んでいましたね。弟子というのは、いつ破門になるか分かりません。師匠が怒って「君はもう破門や」と言われたら、もう二度と落語界に戻れません。喩えるなら、薄い氷の上をそーっと歩いている感じです。また僕のはよう割れるんです。 僕は車の運転が下手で、あるとき師匠を車でぼんとぶつけたことがありました。
鈴木
林家 さすがに師匠もびっくりしてはりました。
鈴木 しかし、そういうのでは破門にならないでしょうね。
林家 そうですね。でも今までに一度だけ、破門と言われたことがあります。お正月に一門みんなが集まって新年会をやるんです。無礼講で盛り上がって、「みんなで麻雀しようか、ちょっとお前も入りなさい」て師匠に言われてやってたんです。そしたら、僕はたまたまいい並びになって、ちょうど師匠が捨てた牌がこれが上がり牌で、物凄いいい役だったんで「ロン!」。そしたら「破門!」て。「破門」の方が役が上だったんですね。
鈴木
修行が無事終わり、どうやってまた英語落語をされるようになったのですか?
林家

修行が終わると独り立ちで、『林家』という家名を背負うて落語をします。もちろん、古典落語が本業ですが、学生時代にしていた英語落語もまた再開したいなと考え、桂かい枝さん、桂あさ吉兄さんと、昔から繋がりのあったイギリス人のダイアン・オレットさん、カナダ人のクリス・リーさんなどと、一緒に英語落語しましょう、と始めました。僕は英語落語会を開いて、外国人の方に来ていただいたりとか、落語以外でもちょっと変わったことをしようと、三味線でじょんがら節を弾いたりビートルズの「デイトリッパー(Day Tripper)」を弾いたりして、結構笑っていただいたりします。

鈴木 英語落語は即興でされているの?
林家 いや、僕は丸暗記です。即興なんて恐ろしくて。覚えて、まず仲間に聞いてもらって「ああ、その発音はちょっと違うな」とアドバイスをもらいます。僕の場合下手なんで、通じなくて。

上方落語と江戸落語
鈴木 古典落語はどのようにして覚えていかれるのですか?

林家

お噺は300〜400ぐらいあります。僕らの稽古は『膝稽古』と言いまして、お師匠はんは座布団座っており、弟子は座布団はずして座って対面して、『口移し』と言いまして・・・別にキッスするわけではないんですけど。
鈴木
林家 「こんにちは」「おう、誰かと思たらおまはんか、さあさあ、こっち上がり」て師匠が言うて、そのとおりに繰り返して発声して覚えます。僕はこれまた覚えが悪いんで、よう師匠に叩かれたり、お湯をぱっとかけられたりしました。普段は優しいんですけど、稽古になると厳しい。
鈴木 入門されて7年とのことですが、落語界ではどのくらいなのですか?
林家 まだ、ぺいぺいです。上方落語は、江戸落語と違って真打制度はなく、すごくアバウトなんです。江戸は前座・二つ目・真打とありますが、大阪は、何もないです。それはお客さんが決めることであるという考え方です。
鈴木 なるほど。江戸と大阪のカルチャーの違いですか?
林家 そうですね。もともと発祥も違います。江戸はお座敷で、落語好きな方が集まって、林家染太さん「こんな話どうですか」「おお面白い面白い」という落語研究会みたいな感じですが、大阪は谷町9丁目にある生國魂神社の境内に茣蓙敷いて、見台(けんだい)という小さい机と膝隠しという、裾が乱れるのを隠すのがあって、張り扇(はりせん)と小拍子を持って、叩きながらリズムを取って、お客さんを注目させて噺をしていました。江戸は『粋』、に対して大阪は『派手に陽気に賑やかに』です。
鈴木 境内で?まるでお祭りのようですね。
林家 そうです。ストリートパフォーマンスですね。上方落語には『はめもの』といって落語の最中に三味線とか太鼓とかをバンバンBGMで鳴らしたり掛け合いしたりもあります。派手な、サービス精神旺盛な要素がありますね。
鈴木 大阪の庶民のものであったことは確かですね。

● 染太さんの小噺 その2 ●
林家:本当に縁とは不思議なもので。学生時代にある牛丼屋さんでアルバイトしていたとき、前田君いう、ミュージシャンの卵の人と2人で、暇やから夜な夜な夢を語っていたんです。僕はプロの落語家になってお客さんを笑わせたい。彼はプロのミュージシャンになって皆を湧かせたい、言うて。あるとき僕が、たまたま桂枝雀師匠のチケットを持っていたもんですから「君も舞台に立つんやったら、MCとかせなあかんから、面白いから落語見に行かへんか?」言うて見に行ったんです。それから半年経って知ったんですけど、その人ね、実は桂枝雀師匠の息子さんだったんですよ!何で言わへんのや、という話やないですか。桂師匠はスキンヘッドで、彼、金髪なんですよ。全然わからへん。
何で知ったかというと、たまたま雑誌見てて、親子対談って師匠と前田君が載ってたんです。「何やこれお前や、どういうことやねん?」言うたら、「実は息子で・・・」て。僕はまったく知らんで、息子さんにね、お父さん、桂枝雀師匠のことをおもろいでー、って勧めていたわけなんですよ!家におるっちゅうねん! 彼もなんで言わなかったかというと、親の七光りが嫌いで、また僕がすごく落語が好きだから言いそびれたんですね。
 それから何年か経って僕はプロになって、枝雀師匠の奥様、つまり前田君のお母さんもプロの有名な三味線引きなんで、初めてお会いしたとき、「初めてお会いさせてもらいます」言うたら、「私は前から知ってます」と言われましたね。
鈴木:

鈴木の一口コメント
染太さんの話の内容にリズムを感じました。自分の人生で大切な節目節目の出来事を演歌のコブシのように振り絞るかのように語り聞かせてくれました。お師匠さんに弟子入りを許される時の話も、前田君との出会いも心地よい笑いに包んでさらっと出す、さすが噺家です。大阪落語と江戸落語の違いもとても面白い。落語世界の奥の深さを示す貴重な情報です。これを英語で伝える染太さんの挑戦を応援したいですね。染太さんは、日本語、英語、それに加えてコンテンツである「落」語のトライリンガルと言えるでしょう。

 

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