読者の皆さんのご要望に応えるべく登場したTOEFL iBT体験談。 実際に受験した人でなければ体験できないさまざまなポイントを連載でレポートしていきます。 寄稿していただくのは、これまでTOEFLテストを何度も受験し、現在も挑戦中のある大学院生です。 TOEFLテスト受験希望者には必読のシリーズです!
第6回 今勉強していること、留学先での出来事
第1回から第5回まで、TOEFLテストのセクションごとに、気づいた点、各セクションにおける取り組み方などを紹介してきましたが、最後の2回では、私が勉強しているものについて、留学先での出来事をまじえて書いてみたいと思います。 私が大学で学んだものは宗教学で、大学院ではキリスト教を専攻しています。「宗教」というと日本人は戦争やサリン事件といった悲しい歴史の影響のせいか、初詣やお葬式などの行事以外には、宗教を「洗脳」「カルト」としてアレルギー反応を起こす人がいると思いますが、日本でも世界のどこでも宗教は大事なものであり、「普通」のものです。仏壇であれ、神社のお守りであれ、クリスマスであれ、メッカ礼拝であれ、宗教はごくありふれた毎日の景色の一部です。現代の“習慣的行事”なども、もともとは日常的な宗教行事からきたのであり、全てが過激なものではありません。 ロンドンの寮生活でも、ふとこのことについて考えさせられた出来事がありました。私がいた女子寮では、ムスリム(イスラム教徒)の学生が半数くらいいて、彼らのために食事のメニューの中には必ずハラルの肉(イスラムの律法にのっとって屠殺された動物の肉)か、もしくはベジタリアン料理が出されていました。その他、ラマダン(断食)の時期には、彼らのためだけに朝四時に少量の食事が取れるようになっていました。彼らは宗教上の理由で豚肉は決して口にしないのですが、ある日、豚肉料理が鶏肉料理と間違って表記され、一口食べてその間違いに気づいた女子学生は、仲間と共にキッチンスタッフに抗議していました。日本人にとっては仏壇に泥を塗られるような侮辱的なことだったのかもしれません。彼女達にとってそれは毎日の信仰に関わる問題だったのです。 あるいは「今や宗教なんて規律や行事という形しか残っていない。科学の時代の21世紀に宗教なんて時代遅れ。」と思う人もいるかもしれません。確かに宗教離れの傾向は現代社会の中にあると思いますが、宗教は今日の日常生活の中でもまだまだ健在です。宗教は心の奥底に根ざすもので、今も昔もその人の考え方や生き方を形成し、変えてしまう力を持っています。アメリカの大統領選、知事選などでは、候補者がどんな信仰を持っているかは民間人にとって評価対象の一つです。9・11の事件は、アルカイダのテロリスト達がアッラーの戦士としてニューヨークへ“ジハード(聖戦)”に繰り出したのだという見方をする人もいます。
人の心にあるものは、文化、言語、倫理、社会、歴史、科学等にも大きな影響を与えます。逆に、宗教がこれらを形作ったという事実もあります。例えば美術、舞踊や歌などはもともと宗教的儀式です。これを知っていなければ、留学するにしても国際社会で働くにしても、本物の「国際人」とは呼べないと私は考えています。宗教は人の心に触れ、心を動かすものだからです。また、宗教はアイデンティティーの一つでもあります。これからますますグローバル社会になっていくこの世界では、「対立」ではなく、「対話」が一番必要とされています。このような時代だからこそ、宗教の重要性に気づき、互いに尊敬の念を持って歩み寄る心が必要ではないでしょうか。英語を使って国際社会で活躍する人は、世界中の宗教とそれを信じる人々と出会う機会がたくさんあると思います。こういう人達こそ、このことに特に気をつけていただきたいと思います。 ヨーロッパの町や山を散策すると、そこかしこにマリア像や十字架、聖人の像が置いてあるのをよく見かけます。まるで日本の道端のお地蔵様と同じ感覚です。古い町では教会は町の中心に建てられているので、ミサや礼拝が終わった日曜の午後には教会の広場で、小さなチャリティーバザーやマーケット、踊りが繰り広げられたりしています。クリスマスはもちろんイースター(キリストの復活を祝う日)前後の数日間は、教会のコミュニティーで家族そろって特別なお祝いをします。日本の現代社会がどこかに忘れてきてしまった懐かしい温かい風景がそこにあるように感じました。色々な所を巡って、そこに息づく信仰の香りをかいでみるのも面白いと思いますよ。