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留学経験者インタビュー

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留学経験者に留学のきっかけ、その国、その学校を選んだ理由、何を得てどう活かしているかなど実体験をインタビュー。今回も引き続き、アメリカのワシントンDCにあるThe American Universityに留学中の大藪 裕さんにお聞きしました。

大藪 裕さん

大藪 裕さん

2005年3月
(私立)聖学院高等学校卒業
2005年1月
Juniata College(米国、ペンシルヴァニア州)語学条件付入学
2005月5月
同大 中退
2006年1月
Georgia Institute of Technology 付属語学研修プログラム(米国、ジョージア州) 受講開始
2006年5月
同プログラム 修了
2006年8月
The American University, School of International Services(米国、ワシントンDC)入学
2009年12月
同大学卒業見込み(専攻:国際関係学、副専攻:経営学)

前月はワシントンの地を踏むまでの経緯について伺いました。(その1はこちら

「The American Universityでの留学生活について」その2

ワシントンDCのThe American Universityでの留学生活はどのようにスタートしたのでしょうか

2006年8月後半の土曜日の夜にワシントンに到着。紆余曲折を経ながらも、なんとか辿り着いたワシントン。不安よりもうきうきした気分だったのを覚えています。その時のことは今でも鮮明に覚えています。機内で仲良くなった客室乗務員の方が日本食が恋しくなるだろうからと、余った機内サービス用のお菓子を袋に詰めて渡して下さいました。「頑張ってね!」と送り出して頂き、その夜はホワイトハウス近くのホテルで一泊し、日曜日に大学の寮に移ったのです。翌朝、朝食を済ませホテルから2個のスーツケースを抱えタクシーに乗り込みました。大学はホワイトハウスや国会議事堂のある街の中心部から車で15分ほどの所にあり、各国の大使館が並ぶ通りを走って行きます。良く晴れた朝で大使館や住宅の芝生が夏の日差しに輝いていました。そんな光景を見ながら、「ああ、これから本当にここで生活するんだ。」という実感とともに緊張感も湧いてきました。キャンパスに到着し、寮の部屋の鍵を受け取って7階にある自分の部屋まで行くともうルームメイトが到着していました。慣れない場所で、出会ったばかりのルームメイトとの共同生活。昨日までのうきうき気分は既に緊張感へと変わっていました。

紅葉が美しいキャンパス

【紅葉が美しいキャンパス】

授業はいかがでしたか

数日間のオリエンテーションの後、授業が始まりました。最初の学期はアメリカ政治、音楽史、数学、英文学など、教養課程の授業を中心に履修します。この頃にはうきうきどころか、毎日ピンチです。ネイティブの学生と一緒に英語で授業を受けることですら神経をすり減らすのに、毎日の宿題にテストまでこなさなければならないと思うと気が遠くなる思いでした。その中でも一番苦労したのが、アメリカ政治の授業です。今になって考えれば大したことはないのですが、当時の自分には大変でした。毎週、100ページ近いリーディングに加え、レポートやテストがあります。どう考えても自分一人の力ではどうにもならないと思い、周りの人に頼んで手伝ってもらいました。まず、テスト勉強ですが、授業で教授が使ったスライドの内容を全て自分のノートにまとめ直し、授業で友達になったアメリカ人と一緒に勉強してもらいました。自分が読みきれなかったリーディングの内容を友達に教えてもらい、それもノートに書き込みます。テストはこの勉強方法でなんとか乗り切りました。レポートは提出期限の2週間程前から書き始め、ルームメイトや友達に文法や単語の誤用を直してもらい提出しました。最初の学期はそんなこんなで毎晩深夜まで図書館で机に向かう生活をしていました。この経験から学んだことは味方を増やすことの大切さです。自分の能力を超えている課題をこなす為には、誰かに助けてもらわないとどうにもなりません。出来るだけ沢山の人と交友関係を結び、困ったときには彼らに「Help me!」と言えたことがこの時期の自分の強みだったかと思います。

友人とのコミュニケーション力が高いからこそではないでしょうか。キャンパスライフはいかがでしたか

勉強が大変だった一方で、最初の一年間は大学内で沢山の友達に恵まれました。住んでいた寮にはアメリカ人を始め、カザフスタン人、韓国人、フランス人、そして日本人と色々な国籍を持つ仲間が集まり刺激にあふれていました。勉強だけでは頭がパンクしてしまうと思い、金曜日の夜と土曜日だけは絶対に勉強しないと決めて、パーティーに行ったりレストランで食事をしたり。特に韓国人の友人とは日本と文化が近い為かとても仲良くなりました。食事の好みも似ていますし、話も合います。日本食と韓国料理を料理して食べたりしました。また、同世代の日本人の友人から一番刺激を受けたのもこの時期だったと思います。ちょうど同じ時期にトランスファー(他の大学からの編入)をしてきた仲間が沢山いて、彼らの話を聞きいつも感心していました。トランスファーをする為にはかなりの好成績を修めなくてはなりません。彼らの話を聞くと、「オールAを目指して毎晩勉強していた。」という人や、「将来は国連で働きたくて国際関係を専攻できる大学に編入した。」と目標に向かって頑張り、それを達成しているのです。みんなワシントンを目指して頑張ってきたという連帯感を覚えつつ、自分ももっと頑張らなければと思わされ辛い時期を一緒に乗り越えました。彼らとは今でも年に数回は東京で集まり飲み会をする大切な仲間です。

専攻の国際関係学の授業についてはいかがですか

入学から一年も経つと、勉強にも生活にも大分慣れが出てきます。学業では専攻の国際関係学の授業を中心に履修するようになり、行動範囲も学内から学外へと広がっていきました。二年目には国際政治論、マクロ・ミクロ経済、国際関係研究論など国際関係の基本となる授業を履修し、三年次からは自分の専門分野を決めます。私の場合、将来は「日本人として企業の国際事業展開に関わる仕事をする」という目標を持っていたので、国際政治経済論に焦点を当てて履修することにしました。そして、ビジネスを体系的に理解したいと思い、マイナー(副専攻)としてビジネススクールの授業の履修も始めました。アメリカの大学の良いところの一つは専攻の他に副専攻を持つことができ、自分の興味のある複数の分野を平行して学ぶことができることです。中には専攻を二つ持つ友達もいて、勉強家だなと感心します。 最初は苦戦していた勉強も英語を読み書きするスピードが速くなったり、もっと正直に言ってしまうと、どこかで手を抜いても大丈夫かなどというずる賢さも加わって来るにつれ、交友関係の幅も広がってきました。要は、勉強をサボって遊ぶ余裕がでてきたのです(笑)。

友人をアパートに招いてのホームパーティ

【友人をアパートに招いてのホームパーティ】

すると自分の時間も増えますね。そういった時間はどのように使いましたか

ワシントンに駐在する社会人の先輩方との交流です。大変刺激を受けました。世界銀行やIMFなどの国際機関、米国政府機関や研究機関などが集まるワシントンには、かなりの人数の日本人が駐在しています。ある飲み会に参加したのがきっかけで、それらの機関に日本の省庁や会社から派遣されている若手の方々と仲良くなりました。憧れの先輩方から、毎週のように飲み会に呼んでいただき一緒に遊んで頂き、先輩方のキャリアや人生観を色々教えていただきました。自分も日本であればそろそろ就職活動を始める時期にあり、先輩方に「将来はどうしたいの?」、「俺の仕事ってこうだな~、君はこんな仕事とかどう?」など、お酒を片手に話を聞かせて頂きました。海外にいるからこそ、年の差や立場を越えて同じ日本人として交友関係を広げられたことは、今でも自分の強みになっていると思います。

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