留学経験者に留学のきっかけ、その国、その学校を選んだ理由、何を得てどう活かしているかなど実体験をインタビュー。3回にわたり、アメリカのワシントンD.C. The American Universityに留学中の大藪裕さんにお話を伺いました。最終回の今回は、インターンシップや就職についてです。
大藪 裕さん
「高校卒業前からアメリカ留学へ」その1はこちら
「The American Universityでの留学生活について」その2はこちら
「学外で力を入れたインターンシップと就職について」その3
ワシントンでの留学生活の中で力を注いだと思うことの一つにインターンシップがあります。最近、日本でもインターンシップが盛んになってきていると聞きましたが、日本特有の就職活動の一環という位置づけが強いこともありアメリカにおけるインターンシップとは少し違う性格のものが多いのかなと思います。それでは、アメリカでのインターンシップとは何なのかということをまず簡単にご紹介します。
アメリカでは企業、政府機関、NGO、シンクタンクなど様々な機関が学生をインターンとして受け入れています。インターンのポジションを得た学生は数ヶ月間から長いと数年に亘って、受け入れ先の企業等のスタッフとして働くことができるのです。その経験はキャリアの一部として扱われ、履歴書の職歴欄にも書くことができます。インターンシップの制度が発達している訳は、日米両国の企業の採用活動の仕方に違いがあることを考えれば理解できます。日本では企業が学生を新卒採用として卒業と同時に採用し企業内で教育します。一方、アメリカでの採用は企業内のポジションごとに行われ即戦力として使える人を採用する傾向があるようです。そのため、卒業後に就職を目指している学生は大学在籍中に職歴を積もうと学業と平行してインターンとして働く人が多いのです。インターンシップでの成績の良し悪しやインターンシップ先で培った人脈等が就職状況にも大きく影響するため、大学もインターンシップでの単位を認めるなどバックアップをしてくれます。
インターンシップを始めた一番のきっかけは2008年に行われた大統領選挙でした。アメリカ史上初の黒人大統領が誕生するかもしれないと言われる選挙の時期に首都ワシントンDCに居るのだから、選挙の様子を自分の目で見てみたいと思ったのです。そして、これがいつ始めようかと考えていたインターンシップへの足がかりになりました。ワシントンには日本のマスコミ各社が支局を置いており、そこで日本人のインターンを募集していると聞きつけたのです。これは良いチャンスだと思い、新聞社の支局でインターンをしている友達に話を聞いてみると、彼女の後任にならないかと誘ってもらえたのでした。そんなご縁があって2008年の1月から12月までの一年間、西日本新聞社のワシントン支局にてインターンとしてお世話になることになったのです。
【オバマ氏、大統領に当選!!】
西日本新聞での仕事内容は記事作りの助手でした。ほとんどがパソコンに向かっての作業でしたが、時には泊り込みや出張など楽しいこともいっぱいありました。まずは、アメリカのマスコミ各社の論調をレポートにまとめたり記事の和訳をしたりします。これがインターンの仕事の大半でした。選挙期間中は候補者の演説や公約等に関して、各マスコミがコラムなどを通じて色々な批評をします。それを日本語で要約するのです。なかなか地道な作業でしたが、各候補者の主張や各メディアの政治思想など選挙の基本に触れることができた仕事でした。
普段のデスクワークに加えて楽しい思い出があります。新聞社にお世話になっている間に特派員の方の出張に同行させて頂くことが何度かありました。その中でも一番思い出に残っているのが、去年の夏の終わりに行ったデンバーとセントポールへの2回の出張です。民主・共和両党の党大会への出張取材でした。(党大会とは各党の大統領候補が指名される大きなイベントです。)8月の終わりに民主党党大会の開かれるデンバーへ飛び、一度ワシントンに戻ってからセントポールに飛びました。授業もあったのでワシントンに戻っている間に学校の課題を終わらせ、また飛び出す強行スケジュールでした。これが、楽しかったのです。「何かをやっている!」という感覚を持てました。現地では、記事を書く特派員の方の隣で大統領候補者や大物政治家のスピーチを和訳する作業に加え、記事のネタ探しのリサーチなどもお手伝いしました。寝不足で頭がおかしくなりそうになりながらも選挙戦の熱を直に感じることができ、今思い出しても楽しさが蘇ります。
【ヒル国務次官補の会見】
そうこうしている内に一年が過ぎ、大統領選もオバマ氏の当選で決着が着きました。そして、そろそろ次のステップに進みたいなと思うようになりました。というのも、元々マスコミは私の希望する進路ではなく、志望するビジネスの世界を見てみたいと考えるようになってきたのです。ちょうど就職活動を始めた時期でもあり、自分はどんなキャリアパスを歩んで行きたいのかを考え、またそれに繋がるようなインターンシップの機会があれば良いなと思っていたのでした。そこで、2009年1月からお世話になることになったのが北米トヨタ自動車の政府渉外部門です。トヨタ自動車は米国に現地法人を持っており、政府渉外部門とは米国政府とワシントンの政治家達を相手に政策交渉をする部門です。なぜ、日本の自動車メーカーが海外で政治活動をしなければならないのかと疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、米国で巨大なシェアを持っているトヨタの様な日本企業は、米国政府の政策にかなりの影響を受けるのです。例えば、今年の初めにはバイアメリカン法案という景気対策法案が審議されていました。一言でいうと、「アメリカ国内で製造された製品を購入しましょう。」という法案です。実際の内容はもっと複雑ですが、この様な法律が可決されてしまえば海外メーカーの米国内でのビジネスに大きな障壁になります。そのため、海外の企業でも必死に政府や政治家に圧力を掛けるのです。
たまたま、知り合いの方に声を掛けて頂いたことがきっかけでインターンをすることになったのですが、就職活動を通し「将来は日本企業の国際事業展開をリードするビジネスパーソンとして、日本と世界との架け橋的存在となりたい」という目標を持つようになっていた私にとって、日本企業のこのような部門を経験できるということは願ってもないことでした。北米トヨタでの仕事内容は西日本新聞のものとはかなり違うところがあり、最初のうちはとても緊張しました。新聞社の時は、私のレポートを読むのはワシントンで一緒に働く特派員の方だけ。もし、足りないことがあればすぐに教えてもらえます。しかし、北米トヨタでのレポートは日本の本社で北米事業に携わる社員と本社役員向けの資料でした。読み手の顔を知らないので、どのような内容と校正を求められているのかが全く分かりません。初めの1ヶ月は、上司のマネージャーを捕まえては直して頂きなんとか書き直すのがやっとでした。最初のうちは大変でしたが、段々と楽しいことも増えてきました。商務次官補とのブリーフィングに同席させて頂いたり、元国務長官のマデレーン・オルブライト氏の昼食講演会に参加させて頂いたりと、大学内だけで学生生活をしていたら絶対に体験できないこともできました。
【北米トヨタでの自分のデスク】
あと約1ヶ月で大学を卒業する予定です。卒業後は日本に帰り、来年4月に就職することになっています。社会人になるまでに約3ヶ月ありますが、その間は日本でゆっくりしつつ、旅行にも行きたいと思っています。社会人になってしまうと、なかなかまとまった時間が取れないようなので、好き勝手に旅行できるのもこれが最後です。ちょっとプライベートな事ですが日本で待っていてくれる彼女との時間も大切にしたいですね(笑)。そして、晴れやかな気持ちで社会人になれたら最高です。4月からはインフラ・エネルギー関連の会社に就職する予定です。国際関係学と経営学を学んでゆく中で、国際関係や長期の国益に関連するビジネスの分野でキャリアを積んで行けたらと考えるようになり、運とご縁もありエネルギー関連の仕事からキャリアをスタートできることとなりました。高校卒業後に日本を離れて好き勝手に生きてきた自分ですから、これからは日本の社会で認められる大人になることが直近の目標です。
【ワシントン空港ラウンジにて】
これから留学を考えていらっしゃる方は、様々な夢と目標を持っていらっしゃることと思います。まず、それを大事にして頂けたらと思います。留学をすれば誰でも色々な壁にぶつかります。言語の壁、文化の壁、学力の壁。そして、その壁を海外の地で克服しなければなりません。私自身、壁の連続でした。そんな時、なぜその壁を乗り越えられたのかを考えてみると、それは「これだけは譲れない!」という夢と目標を持っていたことでした。480点しかないTOEFLの点数もなんとか600点まで上げ、大学に復学することもできました。夢に近づくために目標を立て、それをクリアして行く。そして、また次の夢と目標を立てる。それを自分自身の能力が許す範囲で行えば、満足した留学生活を送ることができるのではないかなと思います。3ヶ月間、留学体験談にお付き合いいただきましてありがとうございます!