今号は、NIC(NIC International College in Japan)代表として多分野でご活躍中の廣田和子先生のインタビューをお届けします。NICで学ぶ子どもたちの気質を通して、現代の日本社会が抱える教育の問題点やそれを打破する提言、NICで実践している英語教育など、多岐にわたるお話を伺いました。
廣田和子(ひろた・かずこ)先生
高校卒業後、米国ミズーリ州オザークス大学留学
同大学卒業後、米国にて青少年カウンセリング業務に従事
1988年 ネバダ州立大学日本校開設にともない常任理事就任
1994年 ネバダ・カリフォルニア大学国際教育機構Japan(現NICInternational College in Japan)常任理事就任
1997年 財団法人国際教育協会常務理事就任
2000年 ハーバード大学教育学大学院MLE課程修了
2001年~2005年 米国TOEFL理事会理事
2003年~ NIC International College in Japan代表就任
主な著書:
『「使える英語」が一気に身につく魔法の英語学習法』(青春出版社、2009年)
『きみは変われる!夢をもって世界に羽ばたこう』(草思社、2005年)
私は講演会で中学や高校など全国いろいろなところに行く機会がありますが、子どもたちの意識が外に向かっていないだけでなく、自分自身の内側にさえ意識が入っていないと感じます。昔は何がしたいという夢をみたり、いろいろなものに感動したりと、心が動く、心を奮い立たせることが結構あったと思うのです。でも今は情報過多の時代で、すべてが簡単に手に入る時代になってしまい、心の中を揺さぶる刺激が少なくなっているのではないかと思います。昔から無気力無感動という話はありましたけれど、それはやっぱり与えられ過ぎたからだと思います。親御さんも過保護になっているから。そういった意味で、子どもたち自身の中から沸きあがる気持ち、姿勢が少なくなってしまったのではないでしょうか。韓国だって中国だってアジアの子どもたちはどんどん外に出ているのに、日本が完全に内向きに入ってしまっているのは、今までの教育の問題もあるだろうし、親子のコミュニケーションの問題もある。子どもたちが本当は何か持っているのに、それがわからなくなってしまった状況が、今ものすごく充満している気がしています。
(*廣田先生は2009年10月に、財団法人ユースワーカー能力開発協会「若者力大賞2009」の「ユースワーカー支援賞・個人部門」を受賞されました)
ありがとうございます。そうですね、社会全体で今の状況をどうにかしなくちゃいけないと思っています。特に現在の日本を作ってきたご年配の方々にしてみるととても不安で、どんどん日本人のスピリットが消えてしまうと憂えていらっしゃる方が多いようです。他の受賞者の方もみなさん、そういう意味で活動されている方々でした。
日本には独自の文化があり、いい常識もあるのだけれど、日本の常識や発言しないという習慣に負けてしまって、これを言っていいのかどうか、自分が考えていることが本当にいいのかどうか、しゃべれなくなるということが起こっています。要するに、社会に病気にされてしまうのですね。自分の思いが本当はあるのに、奥深くに入ってしまっていて、自分が何を考えているか見えなくなってしまう。親御さんとも意思疎通、コミュニケーションがきちんとできない。親御さんは自分の価値判断でしか物事を言わないので、子どもの奥深いところまで分からず、そこで子どもは完全に遮断してしまい、病気になったり、うつになったり、登校拒否になったり、ということになってしまっています。そういう風に心を閉ざしてしゃべれなくなった子どもがNICに結構来るので、私もそういう子どもたちに大勢会っています。NICでは人を傷つけたりするような事でなければ、何を話そうと受け入れてくれるし、聞いてくれるし、話していいので、子どもたちは自由にしゃべれるようになります。
私は英語教育や国際教育に携わっていますけれど、閉ざしてしまったものを取り出し、受け入れて、そこから広げていって、世界に飛び立たせるという、もっと根底の人間としての教育を行っています。英語というツールを通して自分が何者かを知り、想いを叶えて世界に飛び立っていける、その権利は誰にでもある、ということをNICでは教えています。今や社会イコール日本ではなく世界ですから。今、人間に、特に日本人の若者たちや子どもたちに、コミュニケーションやしゃべることといった、いわゆる心をつなぐものが欠如してしまっていますよね。去年の夏、小学校にも講演に行き、そこで出会った母親たちとお食事会をしたのですが、いろいろな方と出会えて大変面白かったです。子どもたちとどう向き合うかという話になりましたが、子どもたちにかまいすぎだと言いました。子どもたちを自立させるためには、子ども自身をちゃんとリスペクトして、いい意味で放置しなければ。それには親がかなり大人で寛大でなければならないし、大きな目で愛情をもつことが必要です。どうしても手をかけてしまったり、レールを勝手に敷いてしまったりするでしょう。そういうことを全て止めるのです。また、TOEFLテストや英検などを受けると、何点上げなければいけない、何級に受からなければいけないと必死になって、そこにスティックして(こだわって)しまう親御さんがいます。でもそれらは一つのものさしに過ぎず、出来ないからといってその子が全部だめなのではない、テストは学習過程で必要ではあるけれども、そのためだけに勉強していては、子どもが豊かに育たないという話をしました。
私は今、武道を習っていますが、相手と戦う時にある一部分だけを見ずに、自分の「統一」で相手の全体を見ながら自然に動くと、気付いたら相手が倒れていたということがあります。親御さんも、子どもが出来ないというその部分だけ、しゃべれないというそこだけを見がちです。でもその子の「統一」を見て、この子にどういう問題があるんだろう?心に何があるんだろう?と心に入っていけばいいのです。心に入るというのは、例えば人の話に泣いたり、人が喜んでいる時には一緒に喜んだりすることです。これは今の社会にはなかなかなくて、親でさえ子どもの心に入っていない。この子が今どんな思いで目の前に居るかということを見ていけば、どんなことを感じて、何をしゃべりたいのかわかるし、慌ててこちらがたたみかけなくても待っていればちゃんと話してくれます。そういう風に一つひとつ理解していくと、心でも言葉でもコミュニケーションが取れ、今まで閉ざしていた子どもの心が開放されて、とてもしゃべりやすくなります。
そういう時にいいのが、実は英語教育です。英語は端的にシンプルにしゃべれる言葉だから。日本語は、敬語もあるし、これは言ってはいけないというような文化もあるからややこしい。心で思ったことを自由に言えない。英語がいいのは、そういうことがなくて、何でも言っていいのです。英語教育は、今の日本の現状には本当に役立ちます。NICには優秀な子ももちろん来るし、高校や子ども時代に問題だった子も来る。何かを求めている子たちがやってくるので、入ってきた時には全くしゃべらない子もどんどんしゃべるようになって、今社会や世界でびっくりするくらいの活躍をしています。日本の教育と欧米の教育のギャップを、1年間で凝縮して埋めるのがNICの教育。そこで変えていくんですよ。
英語は、海外に出て行くための言葉、いわゆる公的な言語として必要です。今英語が出来なかったら、どんな大学を出ようが社会の中の第一線でやっていけないですよね。もう一つ、英語は自分の中身を伝えるようとする言葉です。日本語は、相手の言っている意味をなんとか読み取ろうとする、いわば相手を気遣う言語です。でも英語はシンプルでわかりやすい分、はっきり言わないと伝わりません。それが日本人の教育には大変適していますね。私は英語教育をスタートした時から日本人に絶対にいいと思っていました。アメリカやイギリス、欧米が良いということで英語教育を始めたわけではなく、日本人に、日本人としての誇りを持ってもらいたいという気持ちがずっとありました。私が留学から帰ってきて社会に出た頃、子どもたちはみんな暗かった。反対にアメリカでは子どもたちが自由にいろいろなことをやって自由にしゃべっていた。それを体験していたから、このままだと日本の子どもたちは将来大丈夫だろうかと思って、子どもたちが開放されて教育を受けられるようにと青少年教育をスタートしました。今は国際教育に広がっていますが、もともとの想いがそうなので、原点が今もそのまま流れています。英語教育で世界に飛び立つというのは表面上は格好良さそうですが、もっと深い意味で日本の子どもたちにとってこの教育が必要なのです。先ほどお話したように今武道を学んで侍の時代まで遡っていますが、日本の武道の魂に驚かされます。日本人は魂を持っていました。真剣一つで死と向き合い、中途半端ではなく全てが本気。それが戦後どんどんなくなって、いい意味でも悪い意味でも欧米化され、悪い意味ではその魂が消えて腑抜けになってしまった。今の子どもたちも、まったく抜けてしまった状況だから、自分が何者だかわからない。勝負することもわからず、自分が何で生きているかもわからず、ミッションもわからない。だからあんなに若いのに、日々何して生きているのだろう、ただなんとなく生きているだけ、という子が多くなりましたね。けれども、私がセミナーに行ってアンケートを書かせると、思っていることを書くんですよね。だから何かあるけれど、それがなかなか出てこないのだと思います。欧米では、彼らは言わないと理解し合わないでしょう。しゃべらない人はどんなにいいものを持っていても、weird=なんだかわからない人になってしまう。「言葉=その人、人格」だから。英語ってものすごくシンプルで、論理的でしょう。そこが日本人に欠けているものだから、思ったことをシンプルに言う時に英語を使うことで、心の中にあるもの、言いたいことを言えるのです。あとは、先生が欧米スタイルで教えているから、子どもたちの言ったことを否定したり、間違っているなんて言わないですし、どんな時もどんな意見も”Good Idea”って言いますからね(笑)。それがいいのです。そうすると他の子も、こんなこと言っていいんだと思うし、そうするとどんどんクリティカル・シンキング(分析的思考能力)がついてくる。感情とか思考、学んだこと、読んだことをきちんと伝えるために、英語というシンプルな、わかりやすい明快な言語で話すと、日本語だったらきっとうやむやに言ってしまうかもしれない言葉も、きちっと言えて、お互いが理解しあう。英語を使うことによって、その人の中身が論理的にまとまってくるし、あるいは中に潜んでいたものが外に浮かび上がってくる。そういう意味で英語は日本人にいいのです。
英語でも、まずはスキルを死ぬほどやらないと、課題曲に進めません。なんでもそうですよね。茶道では「守破離」というのがありますが、武道でも使っています。「守」は守ると言うことで、そのままを習得する(まねる)。これはスキルと同じことで、勉強でもピアノでもそうですよね。どんどん体で覚えて、手が自然に動くまで、死ぬほどやってスキルを体得する。それでこれを超えたところに、「破」がある。課題曲になっていくわけですね。そこをさらに超えてはじめて自分を入れて自分の物を作っていく「離」となる。だからラクして英語を学んでいずれ上に行こうと思ってもできません。だからNICでは2000時間勉強します。1000時間が中高の英語の勉強時間だと言われていますが、NICでは1年間で、1000時間の授業と課題が1000時間で合計2000時間やります。相当の勉強量です。
そう、だから大学から編入してくる学生たちも、大学ではテストの前、1年間で50時間くらいしか勉強しなくて済んでいたのに、ここでは40倍やっていると驚いていました。人生変わったというのはそこですよね。スキルをやりこなしていけば、自然と体が覚えていって、自転車のように自然とこげるようになるし、こげたら自由にどこにでも行ける。だから乗れるまではがんばって、その力を一気に上げるためには、1年間で2000時間やらないといけないということです。学生たちもすごいですよ、泣いていますから。スポーツやっていて泣くということはよくあるでしょう。それと同じで、勉強で泣く。それくらいこの1年間がハードなので、海外に行っても楽勝だと皆言います。NICでやったからそれが思い出深いし 、どこででもやれるってね。
そう、支えてくれる人がいるからがんばれる。一人でやっていたらがんばれないもの。日本の大学で1人で2000時間勉強していても、何をやっているのと思われるでしょう。NICに来ると、周りのみんなが当たり前のようにご飯食べながらも勉強しているし、必死ですから。あとは、それだけの時間勉強するので暇がありません。暇な時間があると、考えてしまうから病気になってしまいます。暇のないくらいに詰め込むと、余計なことやくだらないことを考えることが出来ないし、忙しいとそれだけどうしようかと自分でタイムマネージをするよう考え始める。そうするといろいろなことを圧縮して、効果的に出来るようになる。自分のやりたいことを見つければ、その時間を作ろうと思うでしょう。だからその分、自分でまとめる力を強め、頭を使うようになるから、両方いいですよね。そうすると、やった後がとても気持ちがいい。避けたいことを越えていくとその後にものすごく爽やかな気持ちになる。それを絶えずやっていくと、自分の不安が消えていく。だから勉強でも何でも大変だと思うけれども、やっていけば体が普通に慣れるし、やってみると自分も出来ていると思えて、爽快じゃないですか。今生きることが何だか判らなくなってしまっている子が多くなっているから、爽快感を味わうと生きていて良かったと思えるのではないかしら。
苦しみを乗り越えたら素晴らしい爽快感があるんだということを知るといいのです。一度に大きいことは出来ないけれど、小さいことからだんだんやっていって爽快感を味わわせる。NICのクラスが細かくレベル分けされているのは、そういった意味で一つひとつ爽快感を持たせるべく、順番にはしごを架けて、そのレベルに合った課題をさせているからですね。
そう、先生方もすごいですよ。長年やっていますしね。しかも日本の受身の教育システムで勉強してきた子どもたちを受け入れて、彼らが積極的に参加するように仕向けていくことをやっているので、特別な先生方です。話せない子が話せるように、放って置かずに話すまで待つとか、しゃべる子もしゃべらない子もバックグラウンドに関係なく、誰でも同じように扱っていくことも一つの方法だと思います。例えば、クラスが20名だとしたら、さらに小さく3、4名に分けて、そこで自由にしゃべらせる。そうしますと、みんなの前でしゃべれなくても、小さいグループの中でならしゃべれたりします。そうやって力をつけていきます。また、課題を出して先生が答えを与えるのではなく、子どもたち自身で考えられるような方法を、一人ひとりポイントアウトしていく。子どもたちがプロセスを自分で考えていけるように、という工夫は日々常にやっていますので、それがNICのスタイルとして他にはなかなかないものだと思います。あとは子どもたち一人ひとりにアドバイザーを置いて、英語で言いきれないことは日本語でサポートしています。そういった意味で、この1年間というのは、日本人の、ある意味hesitantためらいがちなところを、少しずつ捨てていくことをやっているわけですね。これが突然アメリカに行ってしまうと、完全に取り残されてしまいますが、NICはその中間にあるので、1年間で足場を踏み固めながら、体と思考、精神力を欧米に行っても大丈夫なように持っていくということです。
あれは画期的な取り入れでしたね。ETSが開発して、すでに導入は決定事項でしたが、スピーキング・セクションはアメリカ人でも大変だと言っていました。ただその背景には、TOEFL PBTのスコアが非常に良くても、クラスの中でやっていけないアジア人が多かったということがありました。アジア人の中でも、特に日本はスピーキングで最下位でしょう(*「スコアデータサマリー2008年度版」(ETS)より。日本人はこういう教育をやっていないから、特に大変でした。でも結果的には、それがReal English本物の英語で、海外に行ったら使えなければならないということなのですね。私は厳しいと思いましたが、結局日本人にとって大変苦手な部分が導入されたということになりますよね。その理由としては、クリティカル・シンキングがないから、というのが明らかにありました。
そう。だからTOEFLテストが変わってもびくともしませんでしたよ。日本の英語教育ではやっていないから、とても太刀打ちできないとびっくりしていましたけどね。NICでは、クリティカル・シンキングがないと海外ではやっていけないと、ベーシックとして教えています。現在日本の大学でも、海外からの学生を受け入れるために英語での授業を導入しているようですが、先生が英語はしゃべれても、教え方がわからない、というところにぶち当たります。ただ、間違いなくクリティカル・シンキングは実際に必要なものですから、日本の教育にも取り入れていかなくてはならないものでしょう。それとTOEFL iBTになってNote Takingも入りました。これもNICではクラスの中でやっていますので、そのおかげでNICの学生は割合いい点が出ます。
コミュニケーションをするためには、ただ英語をしゃべるのではなくて、受け入れて分析して、そして自分の中でまとめ、その自分のものを取り出す、ということ(In-Out)をやる必要があります。日本人の思考が止まってしまうところですね。
そうです。社会の中でも議論していかないと。先日トヨタの社長がアメリカに行って話してきましたけれど、インタビューの質問など、欧米では日本と違って遠慮なく、ストレートに言いますからね。それに応えて、論理的にきちんと返していかなければならない。あれが世界の舞台です。一つのいいサンプルだなと思いながら見ていました。ああいう時に日本人も立ち向かえるだけの思考というか、自分がないといけません。「言葉は自分」ですから。自分という言葉をきちんと英語で話せるというのは社会で一番必要なことです。それがTOEFLテストが今目指していることでしょう。日本人はいいものを持っていてもToo Niceだから、そこを量でなく質でいいから、日本人らしく伝えていく力をもっと持っていかなければいけません。日本の文化には素晴らしいものが多くありますが、最近学んだのは、人は本気のつもりで生きて、本気のつもりで仕事をしているけれど、全て「つもり」だということです。でも、本気にならなければいけない。私の本の中で、遺伝子学の村上和雄教授もおっしゃっていましたけれど、人間の60兆個ある細胞が本気を出せばいくらでも出来るんです。これが「本気」。けれどももっと開けば「本気の本気」になって、さらに開いていけば、悟りの境地ですけれど「本気を超える」というところまで出来る力が人間にはある。NICは本気です。本気の子たちを受け取り、リーダーに育てていくわけですから、大変です。「本気のつもり」から「本気」にまでしていかなければなりません。
みんなが生まれた時に持っていたはずなのに、忘れてしまっているミッションを思い出してください。忘れて漠然と生きているけれど、誰でも一人ひとりにミッションがあります。自分のミッションは何だろうともう一回思い起こしてみて欲しい。それはとても簡単で、自分は何をやりたかったのだろう、どんな人間になりたかったのだろうと、そういうものでいいのです。目標がないから、何を学びたいかわからない、なんて言う子もいるけれど、職業を決めなくてもいいわけで、それこそ泥臭い人間になりたいというならそれでもいい。ではどんな泥臭い人間になりたいのか、と追求していけば、いろんなことが起こります。自分が何者なのか、どうして生まれてきたのか、ミッションは何なのかと思い出していくと、そこに何かがあるわけです。そして世界は一つですから、その中で自分のミッションを果たすためには、いろんな人と出会っていかなければなりません。いろんな人と出会うためには、言語やコミュニケーションが必要でしょう。その言語の一つが英語ですし、そういう意味で英語というのは人生を広げるための基盤です。言葉は基盤です。学ぶにしても言葉なくしては学べませんから。幅広く学ぶためには、日本語は当然として、今の時代、英語も不可欠です。そして言語は文化を背負っていますから、言葉を学ぶことはその新しい文化を知ることで、そこに新しい世界や未来があります。新しい未来に行けば、また生きる勇気が出てくる。だから日々未来を見て、自分の夢を探す一つの大きな原動力になるのが英語だと思うのです。日本語だけだったら夢がここにだけしか見つからないけれど、英語を使ったら自分の世界がドーンと広がっていく。
例えば卒業生のキヨコさん。60歳でNICに入って英語力はほとんどゼロからのスタートでした。覚えては忘れ、の繰り返しだったのに、今なんと70歳で東洋医学の博士の道を歩んでいます。信じられないじゃない。30歳の人だってまだ入学できますかってオドオドしちゃうのに、夢があるでしょう。彼女はあと30年生きるのだと言っていました。それはそうですよね、そこまでやったらもったいなくて死ねないじゃない。彼女みたいな人は私たちにとって希望ですね。彼女も、やっぱり英語を通して夢を探しました。もともとは国語の先生で、そこから完全に人生が変わりました。今までの人生も楽しかったと思うけれども、これからの人生はもっと夢や可能性が開いていくでしょう。英語を知って、英語の文化を知って、英語の文化を体験してくると、人間性が変わります。国内だけで生きている人と全然違う。かじった程度でも英語をやった人は思考が広がり、それが英語を学ぶ力というか魔法だと私は思うのです。20年以上教育をやっていて、そのことをますます確信するし、英語を学ぶことによって実際奇跡のように人が変わっていきますよ。
インタビュー:2010年2月26日 エグゼクティブ・アドバイザー 仲野友子
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