For Lifelong English
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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
第34回 Lifelong English
– 明治大学法学部教授・堀田秀吾先生に聞く その2

堀田 秀吾先生 プロフィール
1991年 東洋大学文学部英米文学科卒業
1999年 アメリカ・シカゴ大学大学院言語学部博士課程修了
2000年~2008年 立命館大学 法学部・大学院言語教育情報研究科(助教授)准教授
2005年 カナダ・ヨーク大学オズグッド・ホール・ロースクール修士課程修了
2008年 カナダ・ヨーク大学オズグッド・ホール・ロースクール博士課程単位取得退学
2008年 明治大学法学部准教授
2010年 明治大学法学部教授

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
1回目の留学 シカゴ大学へ
- 鈴木佑治先生:
- 大学を卒業して、見事大学院留学を果たされたわけですが、どちらに留学したのですか。
- 堀田秀吾先生:
- シカゴ大学です。これがまた、僕の人生は勘違いの連続で、マスター(修士号)をとりに行ったつもりだったのに、大学院に行った初日に聞いたプログラムの説明が、最初から最後までPh.D.(博士号)プログラムの説明で終わってしまったんです。おかしいと思って、事務の人に聞いたら、うちにはマスターズプログラムはないと答えられました。間違えて入ってしまったんです(笑)。
- 鈴木佑治先生:
- アメリカの大学院の言語学プログラムはPh.D.プログラムが多く、Ph.D.に進むことを前提としていて、何らかの理由でそこまで進まない人がマスターをもらうというシステムが多いですよね。堀田先生はそんな勘違いをしながらもそのままPh.D.プログラムに進むことにしたわけですね。
- 堀田秀吾先生:
- ここで帰ってはまずいだろうという気持ちと、Ph.D.プログラムに残ったら、高校教員への道は絶たれてしまうけれど、せっかくだからこのまま大学の先生になろうと決意しました。
- 鈴木佑治先生:
- 当時のシカゴ大学にはまだジェイムズ・マコーレーがいましたか。
- 堀田秀吾先生:
- 僕はマコーレーの最後の弟子です。
- 鈴木佑治先生:
- マコーレーの最後の弟子!そうしたら生成意味論の方かな。
- 堀田秀吾先生:
- 僕はどちらかというと統語論と形態論と意味論を融合させたものです。マコーレーは最後の方はそういう研究にも関心を持っていました。
- 鈴木佑治先生:
- なるほど。シカゴ大学を選んだ理由は何でしたでしょうか。
- 堀田秀吾先生:
- やはりマコーレーがいたからです。チョムスキーはあの頃になると、方向性が変わっていましたし、大学時代の指導教員がバークレー出身だったからか、レイコフですとか生成意味論の論文を読まされたりしたので、そちらに興味が傾いていました。そして、学部の論文でよく引用したのが、ロスとマコーレーでした。ロスは当時一時引退していたようだったので、結局マコーレーというチョイスになりました。あとはボーリンジャーも好きでしたが、確か当時90歳くらいで、僕が行った年に亡くなっています。

Ph.D.の苦労 日本人の有利な点
- 鈴木佑治先生:
- シカゴ大学の言語学科の歴史は古くて伝統的なギリシャ・ラテンの流れを強く残していますし、経済学ではポール・サミュエルソンとかミルトン・フリードマンなどの巨星がいました。
- 堀田秀吾先生:
- 5年連続でノーベル賞受賞者が出たほどです。
- 鈴木佑治先生:
- 堀田先生が留学していた頃にもそういった博士号を取るまでの厳しい伝統はそのまま残っていましたか。
- 堀田秀吾先生:
- ええ、その伝統は残っていて、プログラムも非常に厳しいものでした。プログラムの課程で半分の学生はいなくなります。たいてい留学生が残ってアメリカ人がいなくなる。
- 鈴木佑治先生:
- アメリカ人の言語学専攻の学生の中には文法が苦手な人もいて、文法理論についてこれない人もいました。最後は論理が数学みたいになってくるから。英語が満足に話せない留学生が彼らに英文法を教えることになるなんていう妙な風景をみたことがあります。日本人や韓国人の学生は受験で文法をよく知っていますからね。
- 堀田秀吾先生:
- 物事のルールに従って考えるのは日本人は得意ですね。でもアメリカ人はそれが苦手。だから宿題やるにもルールがあり、そのルールに従うのが日本人、従えないのがアメリカ人。従うか従わないかで成績は当然差がつくじゃないですか。そういう意味では日本人で良かったと思いました。
- 鈴木佑治先生:
- 日本が英語を取り入れようとして150年もの間上手くいっていませんが、言語を論理として考えることでは妙に成功していますね。ところで、Ph.D.にはプログラムに正式に入る時と、コースワークが終わる時に大きな試験が都合2つありますね。私は今でも夢を見ます。当時タイプライター持ち込みだったから、タイプしている夢を見るんです。
- 堀田秀吾先生:
- 思い出すだけで大変でした。まずは準備が大変です。1年2年かけて準備しますから。
- 鈴木佑治先生:
- たくさんのリーディングリストが出てそれらを読んでおくわけです。そのどこから出題されるか分からない。
- 堀田秀吾先生:
- ええ、僕も2回ありました。メジャーとマイナーと。
- 鈴木佑治先生:
- 筆記試験と口頭試験ですよね。
- 堀田秀吾先生:
- ええ。1年目の終わりに、全ての科目について1、2時間ずつ筆記試験があり、これで半分くらいの人が落ちます。
- 鈴木佑治先生:
- この試験を通ると、正式にPh.D.プログラムに入れるわけですよね。それでダメだと、はい、さようならです。それからさらに授業をとり単位を充足すると、Ph.D.のキャンディデートになる試験を受けなければいけない。
- 堀田秀吾先生:
- 僕の場合は、例えばメジャーは統語論、マイナーでは統語論の中でも自分のスペシャリティという2つの試験がありました。僕は教室ではなく自宅で受けましたが、3日3晩寝ずに解答する感じで、これが本当に大変なんです。出題3問に対して解答がシングルスペースで75枚くらい。3日で75枚くらい打っているわけです。印刷してから、我ながらこれは大変な試験だ、こんなに書かなければいけないんだ、とびっくりしました。
- 鈴木佑治先生:
- 提出した膨大な量の答案を読む方も読む方ですが、でもちゃんと読むんですよね、これがまた。その後口頭試験もあるから筆記に受かってもホッとする暇はありません。口頭試問も大変だったでしょう。
- 堀田秀吾先生:
- 2時間みっちりでした。同級生とか10人くらい見に来ている中で質問されて、それはもう大変でした。
- 鈴木佑治先生:
- 集中砲火を浴びたでしょう。
- 堀田秀吾先生:
- でもマコーレーは、僕が困っていると全部助けてくれました。
- 鈴木佑治先生:
- 主査はみなそうなんですよ。副査は自分の弟子でもないから手厳しい質問をする。
- 堀田秀吾先生:
- マコーレーはやさしかったですね。厳しい質問も飛びましたが、大体助けてくれて。
- 鈴木佑治先生:
- それは先生方同士のつば迫り合いがあって、相手の先生に向けて飛ばしているわけです。だから、それで助け舟を出してくれるわけですね。ま、議論することに慣れているでしょう。
- 堀田秀吾先生:
- 前の日は眠れなかったですし、ドキドキでしたけど。
- 鈴木佑治先生:
- こうして、博士候補生になり博士論文を書き終えるまでまたまたひとやま、そして、最後のオーラル・ディフェンスで最後のやまということですね。今度は論文の細部をつついてくるのでそれにキチンと答えなければならない。3、4時間続いたような気がしますが、終わると審査し、すぐに結果を言ってくれるわけです。OKだと、”Congratulations! Doctor Hotta!”なんて言って、今度は打って変わってパーティーのような場になったのではないですか。
- 堀田秀吾先生:
- そうなんです。同級生がケーキを用意して待っていてくれて。終わってから食べて帰りました。その辺りは僕の人生の中でも、いわゆるものすごいターニングポイントになるような事がいろいろとあった時でした。

シカゴでの英語の苦労
- 鈴木佑治先生:
- 留学中は、言語学では理論という部分で日本人として有利だったということですが、英語ではご苦労されたのではないですか。
- 堀田秀吾先生:
- それは、やはり日常会話です。専門的な話はパターンが決まっているのでそんなに難しくなく話せるんです。だけど日常会話だと、それこそ寮の中には物理学や医学の友達など全然違う分野の友達がいて、話すときにいろんな話題が出てきます。そういう話題に全然ついていけない。
- 鈴木佑治先生:
- どのように力をつけていきましたか。
- 堀田秀吾先生:
- それは書く量がかなり多いですから、自然についたという感じです。例えば1年生の時の統語論の授業では毎週レポートを出しますが、10ページなんて当たり前。日本にいる大学生が3ページでもヒーヒー言っているのに、それが1科目で10ページですから、毎日朝4時まで書いていました。
- 鈴木佑治先生:
- 4科目、5科目とらなければいけないから、その授業についていくうえで、自然に英語力が身についたということですね。寮生活も良かったのでは?
- 堀田秀吾先生:
- そうですね、基本的に英語が好きですし、しゃべるのも大好きなので良かったと思います。400人くらいの大きな寮に2年いて、その後寮を出て、アメリカ人や韓国人と住んだりもしました。
- 鈴木佑治先生:
- 趣味もいろいろ持っていらっしゃるから。
- 堀田秀吾先生:
- ええ、音楽はすごく良かったですね。寮の中ではやっぱりギター好きな人とか、ロック好きな人間がいつも集まっていました。
シカゴ大学から帰国 法言語学との出会い
- 鈴木佑治先生:
- 1999年にPh.D.を終えて、留学から帰って来て、なぜ法学をやろうと思ったのですか。
- 堀田秀吾先生:
- 立命館大学法学部で職を得たからです。2000年4月に赴任し、そこで法学と出会いました。英語教員として教えるのですが、言語学は、どちらかというと科学ですから、科学的なネタを使って教育をしていたら、法学部の学生が「先生のやっていること全然面白くないよ」と言うんです。そこで、「じゃあ面白いことをやってやろうじゃないか」という気持ちになって、言語学の人間に何が出来るだろうと考え、言語学の立場から法学に近いことで何かないかと思った時に法言語学に出会いました。それで法言語学を調べたら、これが実に面白い。言語学はこんなに社会に役に立つのだと気付いたわけです。
- 鈴木佑治先生:
- それは言葉は同じでも、法律で使う場合は、普段の我々が使う場合と、意味が全く違うでしょう。
- 堀田秀吾先生:
- 違いますね。それだけではなくて、例えば、我々の持つ言葉の力というのがあって。例えば、検察官が話す言葉、あるいは弁護士が話す言葉で、証人の記憶が変わったり、陪審委員の判断が変わったりする。言葉が実際すごい力を持っていて、それが、特に、裁判という場では人の人生を決めてしまう。こんなに重たいものはない。そして、言語学の分析がこんなにも活かせるのだと分かったときに、これは面白いから、もうちょっと突き詰めてみようと思って勉強を始めました。

2回目の留学 ロースクールへ
- 鈴木佑治先生:
- それで法律も勉強し始めたわけですか。
- 堀田秀吾先生:
- はい。別に言語学だけをやっていてもいいんですけど、法律を知っていたら、さらに世界が広がるだろうと思って、サバティカルを利用して、カナダのヨーク大学オズグッドホール・ロースクールに留学しました。
- 鈴木佑治先生:
- それはカナダのどこにあるのですか。
- 堀田秀吾先生:
- トロントです。オズグッドホール・ロースクールはもともと独立していたのですが、30年前にヨーク大学に吸収されました。オズグッドはカナダで一番古いロースクールです。何かの縁なのか、シカゴ大学はアメリカで一番古い言語学部、ヨークはカナダで一番古いロースクール、一番古い学校にご縁があります。
- 鈴木佑治先生:
- そのロースクールを選んだのはなぜですか。
- 堀田秀吾先生:
- トロント大学とヨーク大学に受かりましたが、トロントでは事務手続きのときにちょっとゴタゴタがありまして頭に来て辞退しました。でもこういうのも縁だと思います。本当にヨークで良かったと思っています。留学される方はみんな経験されると思いますけれど、大学院って孤独なんですよ。でもこのロースクールの先生がとても素晴らしい。アカデミックアドバイザーが “I’m not gonna make you lonely. 絶対お前たちを孤独にしない”と言って、面倒を見てくれました。いつも昼になると学生がテーブルに集まってお互いのペーパーを読んだり、奨学金にアプライするとなったら、お互いの応募書類を読みあって悪いところを指摘しあったり。いつも仲間と一緒でこんな大学院はないと思います。シカゴの時は孤独でした。とにかく図書館と自宅の往復でしかありませんでした。留学は孤独との戦いでもありますね。だから友達をたくさんつくることも大事だし仲間がいると勉強もはかどります。シカゴでは、住宅ローンと子どもと嫁さんを日本においているから頑張らなくちゃいけないと、朝から晩まで勉強している1年上の先輩がいました。それを見て、その人について勉強していたから、いろんなアドバイスを受けられたし、準備も上手くできて順調にいきました。そういう仲間をつくっていくのがとても大事。日本人でも中国人でも韓国人でも仲間をたくさんつくったらいい。
- 鈴木佑治先生:
- それと最後には体力ですね。小さい時から体力をつけておかないと。
- 堀田秀吾先生:
- その通りですね。僕はシカゴにいた時図書館で本を読んでいて、そのまま意識を失って倒れました。意識を失うと受身が取れないので、そのまま倒れたから額がパカッと割れました。図書館から頭から血だらけの男が出て来たから、みんな何が起こったのだと騒然としていました。だから体力は本当に大事ですね。僕の場合、その時はよく周りが見えてなくて、ご飯もきちんと食べていませんでした。健康は大事です。
- 鈴木佑治先生:
- 私は、だから健康でない人にはあまり留学を勧めない。とても体力が持たない。あとは孤独に対する精神力。いわゆる国際人というのは何かと言うと、どこに行こうが、置かれた場で、自分のコンテンツをぶつけながら、周りと調和して上手くやっていけるノウハウを身につけている人。ある事を知らなくても、すぐに情報を集めて何とか1ヶ月くらいで調整できる人。こういった力がないと結局ついていけない、よって、国際人と言えないのではないでしょうか。それで、カナダにはどれくらい留学していたのですか。
- 堀田秀吾先生:
- サバティカルだったので、現地にいたのが1年ちょっとくらいで、あとはパートタイムで続けました。大学院の博士課程ですと、年に5コマか6コマか満たせば、あとは先生とコミュニケーションをとりながら、自分の研究をコンスタントにやっていけばいいので、それを2年くらい続けて、コンプリートして、プロポーザルを書いて出して、先生にOKをもらい、キャンディデートになれました。そこまでで3年間です。ただ最近、裁判員制度で忙しくて論文が進んでいません。落ち着いたら書こうと思っています。
- 鈴木佑治先生:
- なるほど、すると取れればダブルディグリーになりますね。
- 堀田秀吾先生:
- 日本では珍しいですけど、アメリカでは、Ph.D.を2つ3つ持っている方が多いので、目指しています。
- 鈴木佑治先生:
- 弁護士の資格は取らないのですか。
- 堀田秀吾先生:
- 外国では取ろうと思えば取れるのですが、使う場所がないのであまり関心はありません。使い道が無いので、そのために勉強するのはちょっと勿体ない。もう少し時間に余裕ができたら、考えてみたいと思います。
- 鈴木佑治先生:
- 言語学というのがもともとありますからね。
- 堀田秀吾先生:
- もちろんそうです。法律はあくまでも、敷居が高い法学の世界で専門家と対等に話をするためのパスポートです。
- 鈴木佑治先生:
- 2回目の留学はいかがでしたか。
- 堀田秀吾先生:
- これがまた行ったらびっくり。アメリカの法学修士は1年間も居たら、試験もなしに自動的にもらえるんですけど、カナダはまだイギリスのシステムをしっかりと持っていて厳しいのです。修士号で150ページの修士論文と2時間の口頭試問が課されます。
- 鈴木佑治先生:
- アメリカのロースクールとカナダではどこが違うのですか。
- 堀田秀吾先生:
- 基本的には一緒ですが、システムが全然違います。
- 鈴木佑治先生:
- 一応、学士号を持ってないといけないですよね。
- 堀田秀吾先生:
- そうなんです。でも面白いのは、アメリカは学部を出て、大学院としてのロースクールに行って、J.D.(Juris Doctor)をもらいます。カナダでは大学を出るまでは一緒ですが、ロースクールは学部扱いで、大学院ではなく、もう一回3年学び、LL.B.(Bachelor in laws)を取ります。
- 鈴木佑治先生:
- なるほど。そうすると、学部を終えて、それからまた3年間のLL.B.を学部としてやらないといけないわけだ。
- 堀田秀吾先生:
- そう、学部です。アメリカでは院ですが。ただ、今、流れとしてアメリカと行き来することも多いので、アメリカに近づけようということで、LL.B.ではなくJ.D.という学位をあげようという動きが出てきています。アメリカでもカナダでも、J.D.あるいはLL.B.の上にマスター(修士)がある。いわゆるLL.M.(Master in Laws)というやつですね。
- 鈴木佑治先生:
- なるほど。さらにその上にPh.D.があるわけだ。
- 堀田秀吾先生:
- そうです。LL.D.という言い方もしますが、Ph.D.です。これが、一番いい学位です。大学院の上に大学院があるという、非常に面白い構造をしているのがロースクールです。
- 鈴木佑治先生:
- すると堀田先生はこのJ.D.とLL.M.の、どちらを取ったのですか。
- 堀田秀吾先生:
- LL.M.です。僕はもともと、言語学でPh.D.を持っていましたし、日本の法学部の教員ということもあって、J.D.の過程を免除してもらえました。
鈴木佑治先生の感想
私はアメリカの法曹界のことはあまりよく分りませんでしたが、堀田先生の話を聞きながらいろいろと整理をすることができました。日本でも、司法試験に合格して弁護士になることと、法学部の大学院で法学博士を修めることとは違います。アメリカやカナダではどうなっているのか、その辺りのことを体験を交えて非常に分り易く話してくれました。堀田先生のWebサイトを見ると、さらに細かく説明してあり、とてもよい勉強になりました。関心のある方はぜひ見てみることを勧めます。
●堀田秀吾先生Webサイトはこちら