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For Lifelong English

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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。

第35回 For Lifelong English
– 明治大学法学部教授・堀田秀吾先生に聞く その3

堀田 秀吾先生

堀田 秀吾先生 プロフィール
1991年 東洋大学文学部英米文学科卒業
1999年 アメリカ・シカゴ大学大学院言語学部博士課程修了
2000年~2008年 立命館大学 法学部・大学院言語教育情報研究科(助教授)准教授
2005年 カナダ・ヨーク大学オズグッド・ホール・ロースクール修士課程修了
2008年 カナダ・ヨーク大学オズグッド・ホール・ロースクール博士課程単位取得退学
2008年 明治大学法学部准教授
2010年 明治大学法学部教授

鈴木 佑治(聞き手)

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授

2つの学位を得て現在研究していること

鈴木佑治先生:
2度目の留学から戻られ、現在はどういう研究をされているのでしょうか。
堀田秀吾先生:
法というコンテキストで使われている言葉が判決などの判断にどういった影響を与えるかということを研究しています。いろいろな話題をまんべんなく扱うようにして、商標法の話や裁判員制度の話も出てきます。商標というのはまさに言葉の話です。その分析方法が甘かったり間違っていたりするせいで、裁判で負けて、本来は払わなくてもいいはずの賠償金を払わないといけなくなるケースがあります。そこで、言語学の音韻や意味論といった知識を使って分析すれば、もう少し客観的基準をもって判断できるはずだと思っています。
鈴木佑治先生:
そうした研究は、言語分析の専門知識が必要ですから、言語学者が法律の専門知識を身につけることにより、有利に展開できるのではないでしょうか。
堀田秀吾先生:
楽ではあると思います。法学に飛び込んで学位を取ってよかったと思うのは、言語学者としてだけでは法学者と対等に話せませんし、一緒に研究をしましょうと言ってもあまり反応は良くないのですが、法学も学んでいるお陰ですんなりと法学者の仲間に入れてもらえることですね。共同研究などもとてもやりやすいです。
鈴木佑治先生:
どのような共同研究をされているのですか。
堀田秀吾先生:
裁判員制度や司法コミュニケーションについての研究が多いです。
鈴木佑治先生:
司法コミュニケーションとは?
堀田秀吾先生:
裁判でのいろいろなコミュニケーションです。例えば裁判でのやりとりや契約書などのことばを言語学的に分析します。あと共同研究というわけではないのですが、法哲学的なことで、言語学のチョムスキー理論を法律に当てはめたらどうなるか、といったこともやっています。
鈴木佑治先生:
なるほど。
堀田秀吾先生:
例えば、言語学のピジンとクレオール。日本と外国が接触すると、そこに言語の接触が生まれます。始めは物まねといいますか、ピジンという間に合わせで作ったような言語が生まれて、コミュニケーションが行われます。そしてそれが何世代も使われ続けていくと母語として使われるようになってクレオールという一人前の言語になります。これを法律に当てはめると、やはり日本と外国が接触して、向こうの法律を日本に持ってきて、それが何世代か後に日本の中でその法律もクレオール化していきます。ではどこからがクレオール化したといえるのかというときに、言語学のチョムスキー理論の基準を法律にもあてはめて考えてみるんです。その法律が法として機能するための普遍的原理を満たしていたらクレオール化したと考えるわけです。
鈴木佑治先生:
ピジン的な法律ということは、この段階ではまだその国の法律として根付いていないというわけですね。
堀田秀吾先生:
そうです、まだ借り物の法律の段階です。ここでいろいろな問題が生じます。当然日本と外国では文化が違うわけですから。ところが20、30、40、50年とたって改正されたりすることによって、日本の土壌に合い、日本の法律として機能するようになっていきます。ここでクレオール化されたと考えます。
鈴木佑治先生:
日本ではヨーロッパの法律を導入して、恐らく戦前に一度クレオール化するところまで行きかけた段階で戦後になり、今度はアメリカの法律が入ってきて、ピジン化からクレオール化の段階に移りつつあるところまでたどりついたと解釈していいでしょうね。
堀田秀吾先生:
ええ、そういうことがずっと続いていくということです。ただ法学者はピジンとクレオールの区別もよく知りませんし、クレオールの基準というのもよくわからない。そこで言語学のチョムスキー派のビッカートンが、そういった疑問について、とても面白い言語のクレオール化の基準を提示してくれているので、僕はそれを法に応用しているわけです。
鈴木佑治先生:
これは本当に面白い!社会言語学のピジン、クレオールの概念を法律に当てはめているのですね。逆に、そうすることにより新しいピジン観、クレオール観がうまれますよね。私も、ピジンやクレオールをサブ・スタンダード的現象として見る否定的な考え方は見直すべきであると思います。母語文化の本質を残しつつ外来の文化を同化させる過程として、ピジンとクレオールがあると解釈すべきではないでしょうか。
堀田秀吾先生:
言語学の理論が法哲学にも、普通に言語を分析することにも使えるということで、言語学の新しい可能性がすごく見えますよね。

日本で唯一の存在に

鈴木佑治先生:
日本で堀田先生以外にそういうことをやっている方はいらっしゃいますか。
堀田秀吾先生:
ええ、います。法と言語学会がありますから。
鈴木佑治先生:
いや、学会はあるんだけれども、堀田先生みたいに両方の学位を持っている、すなわち、ダブル・ディグリーの方は少ないのでは?
堀田秀吾先生:
それは僕だけですね。
鈴木佑治先生:
そうでしょう。ダブル・ディグリーは多分これから主流になってくると思いますよ。教育界が今なぜ停滞しているかというと、みんな縦割りになってしまって横をつなぐ仕組みがないからですよね。ダブル・ディグリーを持たれている方々は、横につなぐパイオニアですね。
堀田秀吾先生:
横に行く壁は本当はそんなに高いものではないはずなんですけどね。法も結局、人間の脳、人間の認知のパターンを写しているから、作った人の価値観とか、物事のとらえ方が、当然そのまま反映されるものでしょうし、言語もそうです。だから、根底の部分では社会も、文化も、言語も、法も絶対につながっているはずです。その他、発話行為がそのまま犯罪になった時に、その解釈をめぐって言語学が役に立ちます。例えば、「殺すぞ」という言葉に、本当に殺意があったのか、または、「家族のことが心配ですね」という言葉は、心配な気持ちで言っているのか、それとも脅しで言っているのか。そういうことを分析するのがまさに言語学の意味論や語用論ですので、こういった言語学の分析が、法律の世界で生きてきます。言語学者が客観的な観点から分析して、脅迫には当たらない、当たる、といった説明を裁判員や裁判官に伝えることによって、あやふやとしたものがもう少し客観的に判断できるようになる。言語学者はそういう場面で役に立てるんですね。
鈴木佑治先生:
加えて、裁判のような法律の場に限らず、概して記憶というのがいかにいい加減かということを知るべきですね。重要裁判で、事件当時の記憶がとても重要なのに、その記憶自体が曖昧なうえに、言葉で表そうにも、表しえない記憶もあることを知るべきでしょう。様々な感覚が入り混じる複雑な事件の状況を言葉だけで表わすのは不可能です。カミューの小説『異邦人』の中の法廷に立つ主人公を思い出してしまいます。実存主義を抜きにして、若い人はあの小説は読んでおいた方がよいかもしれません。
堀田秀吾先生:
ええ。それと、裁判員制度ができてから裁判員の負担を考えて、裁判を3日とか1週間とかでやっています。昔の裁判は何年もかけて細かく見ていましたが、それに比べると3日や1週間で聞き取れる事実というのは、ひとつまみでしかありません。しかも、現在は口頭主義といって、弁護士も検察官も余計な資料を見せずに、法廷で話した言葉を中心に弁論で勝負しようという方法になってきています。裁判員の負担を考えてのことなのですが、そうすると、今まで写真だけ見せれば済んでいたものが、言葉だけでの勝負になる。でも言語化できる部分とできない部分というのが必ずある。だから、それが判断に大きく影響するというのが問題になっています。
鈴木佑治先生:
裁判員のことを考えると仕方がない部分もあるけれど、でも非常に危うい状況ですね。
堀田秀吾先生:
危ういですね。

今後の活動について

鈴木佑治先生:
現在、明治大学の法学部で教えているのはどういったことでしょうか。
堀田秀吾先生:
1年生の英語1科目と法律英語、そして演習科目になりますが、裁判員制度についてなどいろいろなことを3つほどやっています。もう1つは比較文化で、内容は法と言語です。その他、非常勤で英語学や英語学演習をやっています。ただ英語学は基礎教養としてアメリカで学びましたが、実は基本的に僕は英語学の人間ではないという意識が強いです。やはり言語学の人間で、法と言語学といった分野が個人的には面白くなってきています。
鈴木佑治先生:
そうですよね。これは面白いですもの。ですからやっぱり法律に特化した英語の授業を立ち上げたほうがいいですよ。
堀田秀吾先生:
実はまさに、某出版社で法学英語の教科書を作ろうという話をしているんです。今は巷にある英米法の本を使って日本の学生を教えているのですが、本当は日本人学生が英米法を勉強する必要はないんです。なぜなら法律というのは国内で収束しているので、日本の法律は韓国に影響しないし、韓国の法律も日本に影響しません。アメリカも一緒です。だから自国の法律を勉強することが大事で、特に司法試験を目指している法学部の学生は、日本の法律以外に余計な時間を使いたくないと思っています。でも、英語で日本の法律を学べるなら彼らの関心をひけるのではないかと、日本の法律の内容を扱った英語の教科書を考えているんです。これから留学したり海外に行ったりして、あなたは何の勉強をしているのかと聞かれた時に、私は民事訴訟のこういうことを勉強していますと英語で話せるようになったらいいかなと。
鈴木佑治先生:
これだけ外国との接点が多くなっている時代にとても重要な視点ですね。
堀田秀吾先生:
ええ、裁判員制度の裁判の1割が外国人事件です。そういうことを含めて、これからは自分の国の法律を英語で説明できなければいけないということで、日本の法律を英語で教えています。全ての英語の先生が法学に詳しいわけではないですから、専門的知識がなくても教えられるようなプログラムを組んで行きたいと思っています。
鈴木佑治先生:
今までは英語教育は、大抵、英文学や英語学や英語教育の専門家が中心になって考えてきましたが、それも必要で否定はしませんが、各学部の専門分野の先生たちも関わってこないと、学生にとっていいプログラムができないのではないだろうかと私も思っています。私は、立命館大学で、英語の私たちと生命科学、薬学部の専門分野の先生たちが一緒になって英語プログラムを立ち上げています。
堀田秀吾先生:
もっと英語の専門家と各分野の専門家がペアでチーム・ティーチングをする機会が増えていけばいいなと思っています。その中で僕自身は法言語学を突き詰めていきたいですね。言語学を法律の世界に啓蒙していくのが使命だと思っています。
鈴木佑治先生:
その一方で、英語の教員としてというところもやはりこだわっていらっしゃいますよね。
堀田秀吾先生:
その通りです。そこが根本です。法律の世界でも英語教育の世界でも言葉のスペシャリストでありたい、どちらも手を抜きたくないというのがあります。実は一度目の留学から帰国して立命館大学に赴任したとき、最初の6年は一番出来のいいクラスばかり教えていましたが、最後の2年は志願して一番下のクラスを教えたんです。これがね、楽しかった。できる子はできる子で楽しいんですけれど、全然違いますね。
鈴木佑治先生:
そういった学生が持っているコンテンツとなるとね、個性的でもあり深くもありとっても面白い。
堀田秀吾先生:
基本的にスポーツ推薦とかで入学しているので、英語に対してまったく知識や興味がなくて、それこそ 「aboveってなんですか」、「becomeってなんですか」というレベル。でもそういう子たちに英語って意外に楽しいじゃんと思わせられたら、教えてよかったなと思える。もともと英語教員を目指していた時にはそういう志があったので、初心に帰ろうと思ったんです。
鈴木佑治先生:
きっと教え子の中からいい先生が出てきますよ。なぜかと言うと、堀田先生は英語をいろいろと広げて深めているでしょう。英語もやるし法律もやるというように広く構えないと。スポーツをやっていても英語もできるようになるんだということに気付かせてあげられる。
堀田秀吾先生:
日本の英語教育はなんだかミニマムしか教えないんですよね、もっと広げてもいいのに。恐らく指導要綱の解釈が間違っているんです。あそこに書いてあるのはミニマムであってマキシマムではない。
鈴木佑治先生:
ルールを規制だと思っているんでしょう。ルールというのは交通ルールのように行動を規制するものもあれば、スポーツのルールのようにその行動を作り出す創造的ルールもあります。それをルールというとみな規制ルールだと思ってしまっているとしたら、それは間違っています。そう考えたら可能性が非常に広がってくるでしょう。

読者へのメッセージ

鈴木佑治先生:
堀田先生のお話は、英語を学ぶきっかけがあり、それが自分の武器となり、興味の方向に動いて新しい分野を開拓されたというとても面白いものでした。そんな堀田先生から読者へメッセージをいただけますか。
堀田秀吾先生:
法言語学というのは日本にはなかった分野でした。だから英語でないと学べなかったし、向こうのロースクールに行って勉強したし、向こうの文献を読まなければならなかった。英語を知ることによって世界が広がり、日本には無かった分野を取り入れることができた。つまり英語を知っていたからこそ、英語のお陰で、新しい分野が開拓できたし、世界が広がったということです。
鈴木佑治先生:
英語が自分の人生の中で、どんなことに役立ったと思いますか。
堀田秀吾先生:
全てですね。大学にも英語のために行ったし、大学院は英語で行ったし、英語を知っていたお陰で法と言語の世界にも出会えた。世界が広がりますよね。
鈴木佑治先生:
世界のいろいろな場所で、日本人がまだ知らないことを英語を通して知ることになるということは、これからもまだまだあるでしょう。堀田先生のお話に勇気づけられました。ありがとうございました。

鈴木佑治先生の感想

アメリカでは、1970年代から1980年代にかけて、著名な言語学者(一般意味論)であり、かつ、著名な政治家でもあった日系人のS.I.Hayakawaが脚光を浴びました。アメリカ上院での討論中に“This is a semantic problem.”と言っては、意味論の専門家として法律・政治用語の曖昧さを指摘しました。彼の政治スタンスには共感できませんでしたが、このことは高く評価できると思いました。以来、言語学の一分野である意味論が注目を受けましたが、残念ながら、法言語学、法意味論という分野には発展しませんでした。堀田先生は日本からこの分野の開拓をしていかれる新進気鋭の学者であり教育者であることを確信しました。今後の活躍を期待します。

– 明治大学法学部教授・堀田秀吾先生に聞く–全3回
90号– 明治大学法学部教授・堀田秀吾先生に聞く その1
91号– 明治大学法学部教授・堀田秀吾先生に聞く その2

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