For Lifelong English
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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
第37回 For Lifelong English
– ホリスティック医学研究所所長・大塚晃志郎先生に聞く その2

大塚 晃志郎先生プロフィール
ホリスティック医学研究所所長
日本ホリスティック医学協会運営委員 日本統合医療学会代議員
慶應義塾大学卒業 東京医科大学公衆衛生学講座所属
第1回国際医学オリンピックにて「ヒポクラテス医学大賞」受賞(1996年 ギリシャ・コス島)
著書:「『治る力』の再発見」(日本教文社)、「人のからだは、なぜ治る?」(ダイヤモンド社)、「きっと、治る」(PHP研究所)、「体はこうして癒される」(サンマーク出版)他
訳書:「ディベート討論/代替医療は有効か?」(討論者/アーノルド・レルマン、MD vs アンドルー・ワイル、MD、(株)エンタープライズ)、「祈る心は、治る力」(ラリー・ドッシー著、日本教文社) 他

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
卒業後インド・ネパール・スリランカ等を訪問
- 鈴木佑治先生:
- 大学を卒業してからは世界各国を訪れていたようですね。
- 大塚晃志郎先生:
- 卒業後25歳のとき、世界的に有名な宗教的哲学者・教育者のJ・クリシュナムルティがインドで講話をするという情報を得て、彼はすでに90歳近くの高齢でしたから、これを逃したら2度と会えないと直観して聞きに行くことにしました。彼は、今までの宗教的ドグマや教祖、そういうものをバサッと一刀両断して、いくら修行しても、またたとえ高額の寄付をしたとしても、本当の真理には行き着けない、そういうものは全部自分で発見するしかないんだと喝破していました。私は、これはきびしいけれど、気分がスカッとするようなすごいことをズバリ言っていると思いました。このインドの旅はネパールの友達が世話を焼いてくれたのですが、ここだけじゃない、他の地でもこれからやるから行こう、と誘われて一緒について行くうちに長旅になってしまいました。
- 鈴木佑治先生:
- 長旅というとどれくらい?
- 大塚晃志郎先生:
- 最初はせいぜい1ヶ月ぐらいで帰って来ようと思っていたのが、結局8ヶ月ぐらいに。最初はある人に、アーユルヴェーダ(Ayurveda)というインド伝統医学の英語の文献がインドでは安く買えるから、できたら買って来てくれないかと言われて、気軽に引き受けたのですが、これがどこへ行っても売っていない。そこでベナレスからマドラスの病院の図書館に行ってこの本を見つけたものの、その本の出版社はベナレスにあることがわかってがっくり。やれやれまた戻らなくちゃいけない。そういう苦労もしました。インドからネパール、ネパールからスリランカへといった旅をしているうちに、アーユルヴェーダやホメオパシー(Homeopathy)、さらにはネイチャー・キュア(Nature Cure)というものの実際と出会い、自然と問題意識を持つようになりました。インドにはネイチャー・キュア、ハイドロセラピ(Hydrotherapy:水を活用した治療法)などに関する貴重な文献があって、そういうものをいつのまにか本能的に集めたり、関連施設をアポなしで訪ねたりもしました。インドは電話回線の状況がひどく悪いので、体当たりの取材をするしかなかったんです。でもインド人は親切で、いきなり訪問してもたいてい親切に施設内を案内してくれましたね。
日本ホリスティック医学協会の設立に関わる
- 大塚晃志郎先生:
- 1980年代は、日本やインドでそういった知恵を知り実際に体験したことで、問題意識が芽生えつつも、まだいろいろ模索していました。そんな中、1987年後半に日本でホリスティック医学協会を設立する動きが急に出てきました。
- 鈴木佑治先生:
- どなたが始めたのでしょうか。
- 大塚晃志郎先生:
- 東京医大の6年生の医学生です。自発的に研究会を設け、忙しい中シンポジウムなどを立ち上げていて、私はそこで知り合いました。その後シンポジウムを発展させて協会の形にしようという動きの中で、呼び出され、私が海外の補完・代替医療現場の情報に詳しいということで、協力をたのまれました。はじめに集まったのは12人くらいだったでしょうか。私はシンポジウムを手伝ったり、講演のためにある先生を口説いたり、司会をやったりというようなことをするようになりました。すると、いつの間にか協会発足時に私の名前が理事のリストに入っていたんですね。
- 鈴木佑治先生:
- 日本でもさまざまな治療方法と出会っていたということですが、それは大学を卒業してからですか。
- 大塚晃志郎先生:
- 卒業前も卒業後もです。もともと通っていたシンクタンクの研究所で、創造工学で有名な中山正和先生の発想法や、アイディアを出すためのブレインストーミングなどのやり方を学んだあと、心身のリラクセーションということで、心療内科で使う自律訓練法を知り、さらに心身統一法や食事法などについても知りました。最初の頃は実際的なところは分かっていませんでしたが、例えば膝が痛くて歩けない人が、それまで医者が散々苦労して水を抜いたり鎮痛剤を打ったりしていたのに、その場で熱いお灸みたいなものをしただけで、そのあとすぐに足をついて歩けるようになり、帰ってしまったのを目の当たりにして、「一体これはなんだ、今までの医者の苦労はなんだったんだ」と、疑問を持つようになりました。少林寺拳法にも整体医法で背骨のゆがみを調整する技法があり、同じ頃に、そういった薬物を使わない、さまざまな方法に出会ったんですね。今まで治らなかったものが、こんなことで治るのは一体なぜなんだろう、とますます興味が湧いてくるじゃないですか。そこで、私は根が単純だから、誰かがぎっくり腰で寝ていると聞くと、なんとなく助けてあげられるような気がして、学んだことをやってみる。すると勘がいいのか相手が数分で良くなってしまうんですね。何でこういうことが効くのだろうかと考えながら、自分で体験を重ねていく。そのうち、次第に直面する病状が難しくなってきました。あるとき恩師が脳溢血で倒れたのですが、その方は10年ほど糖尿を患っていて、眼底出血で失明の恐れがあるというんです。これをどう解くかと難問を突きつけられ、死にものぐるいで徹底的に調べたものです。そういったことを体験し、試行錯誤するうちに分かってきたことは、いろいろなことをあれもこれもと足し算するのではなく、余計なことはやめて、できるだけシンプルなことを徹底してやることの方が回復に役立つということでした。薬こそ止めなかったけれども、実行しているうちに血糖値なども正常になってくるんですよね。そういうことが、またいろいろな発見につながっていきました。
- 鈴木佑治先生:
- そういう知識や体験がインドでの話と絡んでいくのですね。
- 大塚晃志郎先生:
- ええ。日本のいろいろな自然療法の知恵を、環境の違うインドでいかに使いこなすかを実際を通して鍛えられました。それまでに出会っていた日本のさまざまな知恵や情報を、日本とは違う条件の海外で試さなければならない機会にもなりましたし、それも教科書もノートも何もない中で自分の頭で考えて決断するという修行でもありました。結局全部が応用問題なわけです。例えばスリランカでは、ある人から、うちの奥さんの咳がとまらないから家まで来てくれと言われました。そういうときには症状という部分だけを診るのではなく、食事なども含め生活全体の環境までをみます。すると咳をしているというのに、冷たいところを裸足で歩いていたり、ベッドも何日も湿ったままだったり。だから脚湯で足を温めて、布団を干しなさいとアドバイスし実行したらすぐ治っちゃった。つまり現場を見ないとわからないことがある。1つの方法論だけでやってもダメだというのはそういうことなんですよ。
世界各国の人々との出会いと交流
- 鈴木佑治先生:
- ホリスティック医学の世界的権威であるアンドルー・ワイル博士とも親交が深いようですが、いつどこで出会ったのですか。
- 大塚晃志郎先生:
- ワイル博士は1988年に日本に来られるという情報をキャッチして、日本ホリスティック医学協会でも講演をしてもらおうと企画したときが最初です。けれどそのときは飛行機の関係で急に来日できなくなり、別の機会に日本に寄ったときにお会いしました。その後、またインドの国際会議で再会し、というようなことが積み重なっていきました。そして、私が関わって腎臓ガンを克服し、すっかり元気になった方がいるのですが、その方といっしょに体験談をするために、ワイル博士から米国アリゾナ大学医学校で講演をする機会を与えられました。そのときワイル博士は、アリゾナ・ツーソンにある自宅に泊めてくれました。ワイル博士は今でこそアリゾナ大学医学部の臨床教授をしていますが、昔はさまざまな治療法を求めて南米を渡り歩くなど、ヒッピーのような生活をしていたんですよ。アリゾナ大学でも最初は社会医学担当副部長で、補完・代替医療の講座を選択科目として持っていて、この分野では草分け的存在です。それが時代の要請もあって、統合医療という、現代医療のいいところと、他の医療のいいところを患者さんのためにうまく使う医療というアイディアができました。現在は医者をトレーニングするためのプログラムもできて、大学病院内には統合医療のクリニックも設けられています。そうなるまでに彼もいろいろとたいへんだったようですが、今やTIMEの表紙に2回も登場していますからね。
- 鈴木佑治先生:
- アラブ諸国にもかなり行っているようですね、この接点は何ですか。
- 大塚晃志郎先生:
- 1990年代はホリスティック医学といっても、日本の現状では、そのための研究費もとれませんでした。そこで、眼科医をしている私の友人が費用を出して、フィリピンの名門デ・ラサール大学の医学部に特別講座を作ったりしました。そこでこういう新しい分野での研究に意気投合して研究費を出してくれるポテンシャルの高いところは、やはりオイルマネーのある中近東だろうという話になりました。すると、たまたま日本人でクウェート大学の物理学の教授である方がホリスティック医学協会の会員にいたので、この先生にいろいろと相談してみました。このことが縁で、私もアブダビのメリディアン・ホテルで東洋医学的療法のデモンストレーションをすることになります。そこで背中の痛みが何年も治らないというインド人女性に私が技を使ったところ、3~40分ぐらいで痛みがとれてしまった。彼女はもうびっくりしてしまったみたいで、それが話題になったようです。
- 鈴木佑治先生:
- なるほど。
- 大塚晃志郎先生:
- また、1994年に日本は東京で開催された、国際アジア伝統医学会議でのポスタープレゼンテーションの会場に、中東の人のように髭をはやした人がいたので、話しかけたらサウジアラビアから来たとのことでした。話しているうちに、彼は生薬学の先生で、日本の漢方を自国に紹介したいのに、漢方製剤をつくっている製薬会社に電話をして問い合わせても、みんな英語ができないので調べることができず困っているということがわかり、少しあいだに入って手伝ってあげることにしました。
- 鈴木佑治先生:
- やはり諸外国は日本の漢方にものすごい関心を持っていますね。
- 大塚晃志郎先生:
- みんな持ってますね。日本の漢方製剤はクオリティが高いですから。それでその手助けがきっかけになって、東京タワーやお土産屋さんに案内して、すっかり仲良くなってしまったのです。それから5年くらいたって突然、今度WHOの国際会議で日本に行くことになったぞ、というような連絡が来て再会したり、サウジアラビアではじめて補完・代替医療の国際会議をやるので、「それなら日本からはKOSHIROだ!」と、そのときキング・サウド大学で薬学部長をしていた彼が私を招待講演者に推薦してくれたり。サウジアラビア最古の歴史と伝統をもつ王立キング・サウド大学は日本でいう東大のような存在ですからね。その次にはクウェートにあるイスラム医学機構とヨーロッパのユネスコの共催として、東西医療の統合化について国際セミナーをやるということで、米国からはワイル博士、日本代表としては私が呼ばれました。そういう風に友情の積み重ねがあって彼とのおつきあいも16年、ワイル博士とはもう20年になります。
第1回国際医学オリンピック「ヒポクラテス医学大賞」受賞
- 鈴木佑治先生:
- もう1つ紹介したいのは、ある日突然ギリシャから受賞の連絡がきたというエピソードですね。
- 大塚晃志郎先生:
- あれは、先ほどの国際アジア伝統医学会議に、ヒポクラテスなどを研究しているギリシャのアテネ大学医学校の教授が来ていて、初めてお会いして話していたら、西洋医学の祖と言われるヒポクラテスが言っていることは、まさにホリスティック医学そのもので、つまり原点は同じだということが分かったんです。その会話がとても面白かったので、その後手紙を出すと、先生からもちゃんと返事がきて、手紙でのホリスティック医学にまつわる意見交換が始まりました。それがきっかけで、今度ギリシャで国際会議をやるので、日本人としていくつか基調講演をしてほしいとご依頼を受けました。その大会が、ギリシャのコス島で開かれた第1回国際医学オリンピックです。そこで私は、そういった学会ではありがちな重箱の隅をつつくような枝葉末節な議論ではなく、「古きを訪ねて、新しきを知る」意味で、過去の歴史のことよりも、未来のことをしゃべりたいと、古代ギリシャ語からヒポクラテス全集を完訳された明治薬科大学名誉教授の大槻真一郎先生にご相談したところ、「それは面白い、かまわんからやれ!」と背中を押されました。それからはとりつかれたように、死にものぐるいで3週間、寝ても覚めてもそのことばかりを考えて、何とか仕上げて締切ギリギリに間に合わせました。1996年当時、A4で20枚くらいの原稿を1枚1枚FAXで送ったでしょうか。なんとか間に合ってホッとしました。するとしばらくして「ヒポクラテス医学大賞」を授与することに決定したと連絡があったんです。想像もしていなかったことで、もうびっくり!本当にラッキーでしたが、おそらく彼らが本当は言いたくても、なかなか自分たちからははっきり言えなかったことを、私がずばり書いていたようです。つまり、ヒポクラテスの医学は古くさいとか、昔はこうだったとか、単なる過去のこととして片づけてしまっているけど、実はそこにある発想や知恵の本質には、今日の医療があらためて見直さなければいけないような、新しいこれからの医療へのヒントがたくさんある。だからヒポクラテスの医療の知恵と精神をもう一回見直し、古き知恵から新しきを知り、21世紀の新たな医療のために今こそ力強く復活されるべきだと。するとギリシャの委員会で満場一致で賞が決まったそうです。全く思いもよらないことでした。何かあちらのギリシャ人の魂にズシンと入り込んだようです。講演では、私の前に講演した米国人のおかたい学者はただ書いた原稿を表情もなく読み上げるだけだったので、私はちゃんと聴衆一人ひとりの顔を見ながら訴えかけるように話しました。するとみんなメモを取り始めたんです。日本からいらしていた昭和大学医学部内科の名医として知られる成澤達郎先生も、「あなたが話し出してからみんないっせいにメモを取り出したよ」とおっしゃっていましたし、講演を終えてから、何人もの方々から声をかけられ、ほめられました。そういう人達と知り合って、また交流が広がりました。ものすごく神経を使いながら必死の体当たりでしたから、とにかくうれしかったですね。

【「ヒポクラテス医学大賞」受賞式にて】
本音を語ることで英語力を養う
- 鈴木佑治先生:
- 大塚君っていうのは、まずものすごいコンテンツを持っていて、それは非常に矛盾とか何かに満ちたものなんだけど、矛盾は決して悪くなくて、その矛盾の中に整合性を探そうと思って、日本だけじゃなく世界中に足を運んだわけなんだよね。そして、これだと思ったら、そこに行って、ということを繰り返しているうちに、ある日気がついたらもう英語を話していた。つまり日本の英語学習方法の逆の例をやってきたと思うんです。まさに現在の学生に手本にしてもらいたいなと思うね。でも今まで僕も知らなかったんだけど、よく聞いてみると、がっちり英語を勉強していた時期がやっぱりあるわけだね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうですね、英語の成績はまあまあ良かった方だと思います。でもとくにESSとかに入っていたわけではないですから、使える英語への開眼はけっこう遅かったと思います。英語に対するつまらない優越意識があると、減点されたり人前で失敗することを恐れてしまう。これが私も含めて英語の試験の点数がいい奴の陥りやすいところ。つまらないプライドから自意識過剰になって構えてしまうんですね。
- 鈴木佑治先生:
- そういう気持ちを持っていたんだ。
- 大塚晃志郎先生:
- だからそれで伸び悩みました。例えば海外の国際会議でホリスティック医学協会の活動報告をスライドを使って講演しなければならなくなったとき、今までそんなことを体験したこともないし、過去に米国の上手なスピーカーのビデオなどを見てきたものを参考にして、必死に自分であれこれ考えてやらなくちゃいけなかったわけです。用意した英文原稿を何度も何度も直して、それに合うスライドを作ってと。日本の看板を背負って責任重大な、そういう緊張感の中で、最初は、鏡を見て練習したりしました。土壇場に立って、緊張しながらも必死に何とかこなすとホッとします。そういうことをくりかえし実践していくうちに、今までインプットしてきたものが湧き上がってくるような、自分の主張をしていかなければいけないような、そんな状況が出てくるんですよね。また、私は海外に行ったら、まずは向こうのカルチャーから何かを学ぶつもりでいろいろなものに興味をもって、好奇心の眼で見るようにしています。相手の文化にちゃんと素直に敬意をもって、興味を示していろいろ聞くと、相手も親切におしえてくれます。聞いていくと知りたいことがいっぱい出てきます。
- 鈴木佑治先生:
- 相手のことを知った後は、例えば医療なら医療で、日本から発信できるものは何があるかを考え、その答えをぶつけながら本質を語る、そこに大塚君の話し方のコツがあるのでしょうかね。
- 大塚晃志郎先生:
- うれしかったのは、こちらが死にものぐるいで話した、そういうこちらの思いを、ちゃんとキャッチしてくれる人がいることです。例えば、ハンガリーの医学会の会長が今度ヨーロッパに来ることがあったら、鉄道代と宿泊くらいはこちらで持つのでぜひうちの国に寄ってレクチャーしてくれとか、ブルガリア医学会の会長が、”Your lecture is the best!”とほめてくださったり。何かジーンと涙が出てきますよね。私は決してパーフェクトな英語をしゃべっているとは思わないですよ。むしろ英語試験の観点から見ると穴ボコだらけかもしれません。ただし、本質的なものを本音で相手に必死に伝えようとしていますから、それを相手がキャッチしてくれるのでしょう。反対に、完璧で非の打ちどころのないできあがった英作文のようなスピーチを、まったくメモも見ないでパーフェクトにしゃべる方がいましたが、完璧な英語なのに聞いていて全然感動しない。心にとびこんで来ないんです。やっぱり英語の中には、生きた人間の思いがこもっていないといけないんじゃないかと思います。いろいろと勉強になりました。
- 鈴木佑治先生:
- 書かれたものは後で読めばいいということでしょう。大塚君のように、まずそこに身を置く。そして人格まるごとぶつかってゆく、それがたまたま英語で話す場であれば英語で話す、それだけのことで、まずは人間として魅せるものが無ければ人に訴えられないということですね。まさにsoul speechですね。
鈴木佑治先生の感想
これまで何度も大塚氏と会食しながら、卒業後の体験談を聞いてきましたが、このように一時に聞くのは初めてです。あらためて大塚氏の行動力に驚きます。今でこそインドやネパールは身近な国になってきましたが、彼が足を運び始めた当時は恐ろしく遠い遠い国々でした。単なる好奇心で訪れる場所ではありません。活きた知識を追う無類の探究心で、行くところ行くところで世代を超えた友達を作る、この気力が現代の若者に欠けているような気がします。インタビューを通して、その地その地に根差した医療に関心を持ち、結果、医療だけではなくそれぞれの地の文化を理解し、自らの文化を英語で語る大塚氏が目に浮かんできました。