For Lifelong English
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様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
第38回 For Lifelong English
– ホリスティック医学研究所所長・大塚晃志郎先生に聞く その3

大塚 晃志郎先生プロフィール
ホリスティック医学研究所所長
日本ホリスティック医学協会運営委員 日本統合医療学会代議員
慶應義塾大学卒業 東京医科大学公衆衛生学講座所属
第1回国際医学オリンピックにて「ヒポクラテス医学大賞」受賞(1996年 ギリシャ・コス島)
著書:「『治る力』の再発見」(日本教文社)、「人のからだは、なぜ治る?」(ダイヤモンド社)、「きっと、治る」(PHP研究所)、「体はこうして癒される」(サンマーク出版)他
訳書:「ディベート討論/代替医療は有効か?」(討論者/アーノルド・レルマン、MD vs アンドルー・ワイル、MD、(株)エンタープライズ)、「祈る心は、治る力」(ラリー・ドッシー著、日本教文社) 他

聞き手:鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
ホリスティック医学と統合医療の違いとは?
- 鈴木佑治先生:
- 大塚君はこうしてホリスティック医学と統合医療の分野を歩んでいくことになったわけですが、大塚君が大学時代の経済学に対して抱いた疑問に戻ると、実経済は、理路整然と表現できない要因、人の心理とか行動とか、いわば、矛盾だらけの要因で動かされているのではないか、ということを聞きたかったんですよね。実はバブルの絶頂期に僕もある新進気鋭の若手数量経済学者に聞いたことがあるんですよ。バブルといっているけどその金はどこでどうなっているのかと。そしたらそれは経済学理論として考える問題ではないと一蹴されました。下世話すぎたのかな、でも本質的な質問ですよね。
- 大塚晃志郎先生:
- そう、本質的なところを、いつも私は考えたいんです。
- 鈴木佑治先生:
- それはね、僕がやっている言語論にも関係してくるんですよ。西洋で開発された言語理論だけではなく東洋にもいろんな言語理論がある。東洋の言語理論は、部分だけを見ると西洋のそれと矛盾するかも知れないけど、全体をよく観ると一見矛盾だらけのカオスの中にそれなりの秩序がある。ホリスティック医学は、多分そういうものだと思うのですが、どうでしょうか。
- 大塚晃志郎先生:
- 今、鈴木先生がおっしゃったことを整理するために、ホリスティック医学と統合医療との違いということをお話したいと思います。ホリスティック医学とは、全人的医療としてのとらえ方、医の哲学です。例えば、胃が悪かったとしたら、その症状だけを見るのではなく、その背景にあるストレスの問題も含め、心と体さらには精神性まで含めて、生命まるごとを見ようとします。それがホリスティック医学の中心にある考え方であり発想です。これは鍼灸の先生でも西洋医学の先生でも、そういう見方をそれぞれの分野で生かすことができます。
- 一方、統合医療というのは、具体的ないろいろな医療の方法の組み合わせ方のことです。西洋医学でも東洋医学でもいろいろな良い方法があります。でも患者の立場からいうと、ちゃんと効いて、安全で、それほど高価でなければ、どんなやり方だっていいはずです。ようするに専門家がいろいろな可能性を探り、この人の場合には、どれが一番良いかを考えていき、本人の希望も聞きながら、その人にとってベストの選択肢をいっしょに選んでガイドしていく、これが統合医療の考え方だと思います。
- 例えば、交通事故で外傷を負ったような場合は、すぐに外科的処置を施した方がよい場合もありますし、ある人の場合は生活習慣の中でカフェインの多いコーヒーの飲みすぎを控え、飲食を節制・管理することだったりします。本人の意思を尊重しながら、そういうやり方の選択肢から上手に選んでタイミングよく活用していくというのが統合医療だと思います。
生身の人間こそが生きた教科書
- 大塚晃志郎先生:
- もちろん病気に対して、きちんと病名をつけて診断する西洋医学にも素晴らしいところがあります。ただし、放射線を使った検査のやりすぎはいけないですね。検査で病状が分かれば、あとはいろんな可能性を探ります。人の命は検査の結果をもって、あと何ヶ月の命などと医者が勝手に言うような、教科書通りにいくものでは決してありません。へたをすると患者はそう言われるとそう思い込んでしまって、その予言に呪縛され、絶望してしまいます。生きた現場を知っている先生は、本当の教科書は患者さんにあると言います。患者さんに学ばせてもらって、患者さんを尊重して、患者さんにどう役に立てるのかどうか、医者はそういうことを謙虚に慎重に考慮する必要があります。
- 例えばリンパ浮腫という、足が象の足のようにパンパンに巨大にはれあがり、歩くこともできなくなるような病気があります。普通、外科ですと足を切断するような病気です。ところがタイのマヒドン大学熱帯医学センターの医師ウィーチャイ・エカタクシン先生がその病態生理を詳細に観察した上で、これは腫瘍ができてはれているのではなく、ただリンパ液がたまっているだけだから、リンパの流れを良くしてやればいいのではないかと思いついたんですね。そこで無理のない方法で、包帯や紐でぎゅっと15分しばる。その後、ゆるめて、しめて、ゆるめてをくりかえしたら、それだけで数日で、はれが引いて足が小さくなっていった。このように、普通だと足を切断するしかない病気でもちゃんと元に戻っていくんです。そして、西洋医学の1つだけの視点で見ると足切断ということになりがちですが、問題は悪い部分を取ってしまえばいいという単純なことではありません。ましてや、患者にとっては、切断か足が残るかでは天国と地獄ほどの差がある大問題です。ですので、診断はするとして、その後視野を広げていろいろな可能性を探っていくということが大事なんです。
- 鈴木佑治先生:
- ずっと話を聞いていると、今までは世界の中で未開だと思われて切り捨てられていたようなところに実はすごい治癒力があるということですね。ようするに大塚君がやっている体や健康という領域は、簡単な言葉で言うと非常にグローバル化していて、いろんな国の人たちが集まって考えなければいけない問題だということですね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうですね。人間人種が違うといっても、本質的な喜怒哀楽の部分、例えば家族が病気になれば悲しいし、子どもは元気でいて欲しい、できるだけ安全でいたい、という感情は世界中みんな共通しています。だから私があらためて見直してほしいことは、古きを訪ねて新しきを知る、というところだと思います。今までは先端の科学技術ばかりを追いかけて、そういう足元にある知恵の再発見をあまりやってこなかったと思うんですね。例えば、東洋でいう「無用の用」とか、迷信と決めつけられていたものには、よく観察すると意外と理にかなっているものも多く、そういうものを現代の眼で再評価していくことが、非常に重要な気がします。医療の世界で非常におもしろいのは、教科書に書いてないからそういうことはあり得ない、といいたくなるようなことが、実際には起こっているということです。ですから臨床医は、本ではなく生身の人間こそが生きた教科書だという視点を常に持っている必要があります。

【インドで開催された国際会議の様子】
「人間とは何か」という本質的なものを求めて
- 鈴木佑治先生:
- 昔から大塚君の興味の中心は物事の真理というか本質だったんですね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうです。自分の中では、「人間とは何か」という本質的な問いが常にあるから、自然とこういろいろなところに興味が向きます。人生に夢や目標を持っている人、また、ただならぬ才能をもつ人にとって、一番悔しく、やるせないことは何かといえば、おそらくは人生の途中で病気やケガによって、目指していた夢や目標をあきらめなければならないということでしょう。けれども、そういう運命をある程度具体的に変えられる方法や知恵があるわけなんです。
- そういう知恵が分かってくると、「生老病死」の問題、例えば、子宝に恵まれないケースなども、かなり高い確率で子宝にちゃんと恵まれるようになりますし、老化の問題もある程度は遅らせたりできます。病気も死も、おだやかに、家族に見守られながら、というやり方もあって、全部に作用していきます。これは、やはりやる意義があると思います。最近、ホリスティックという言葉が流行っているようですが、そういうところから入ってきたのとは全然違います。流行で入ってきた人は、たいていこう聞いてきます。「こういった知識はどこの大学に行けば学べるでしょうか」と。そんな大学はありません。私は仲間とともに開拓してきましたし、これからも作っていこうと思っています。
- 鈴木佑治先生:
- 相当責任が重いでしょうから、それなりの覚悟が必要で、普通なら逃げてしまいたくなるでしょうね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうですね。あるいは逆に専門家に任せっきりで自分できちんと見ようとせず、ガンになったときに追いつめられてあわてたりします。そのようなとき、別の可能性や方法、オプションがあると知ることは非常に重要です。ですから、私が持っている情報はけっこう貴重です。これらの情報を伝えることによって、患者さんが問題を克服したときにはこちらも本当に嬉しいです。先ほども言いましたが、「生老病死」を知恵の力で変えることができるというのは、すばらしいことですし、私は、このことを理解していることが自分の強みだと思っています。
- 鈴木佑治先生:
- それを研究に留めておくのではなく、実践しなければならないとしたら大変ですね。
- 大塚晃志郎先生:
- ええ、実践していく上で嫌な思いや誤解を受けることもありますし、人間社会のむずかしい政治的なものも見抜いて動かなければいけないですが、この分野には可能性があるし、むずかしいからかえっておもしろいともいえます。
- 鈴木佑治先生:
- これからもどんどん需要が増えていく分野ですね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうですね、でも時間はかかると思います。例えば、医療行政に働きかける役割の先生もいるし、医療の中身すなわち、コンテンツを作る役割の人もいます。私自身は、あまり表に出ず地下水脈のように動いて、それが後から湧き水のように出てくるような役割がいいと思っています。種を蒔くだけでなく、これを残すような工夫をしたいと考えているところです。生きているうちにどこまでできるか分からないですけれどね。
今後の展望と課題~日本から新しい本物のホスピタルのビジョンを打ち出す
- 鈴木佑治先生:
- なるほど。では、これからの展望としては、どういうことを考えていますか。
- 大塚晃志郎先生:
- 日本は、非常に特異的な立場にあり、経済力もあるし、東と西の両方がバランスよく見えるし、きめ細やかさが見事な国だと思います。最近私が考えているのは、日本から新しい本物の総合医療ホスピタル・モデルのビジョンを打ち出していきたい、ということです。いわゆる巷の病院には、何か病気の人が収容される、重くるしいような、病人たちの監獄…のようなイメージがありますね。もしくは、病気の工場みたいな。でもそうではなく、やはり“ホスピタル”にはホスピタリティのあるケアによって患者さんが元気を回復していく場所です。いろいろ工夫はされてきているようですが、現在の病院には、その重大なコンセプトが見事にスポッと抜けていますよね。本来の病院は、患者さんが元気を取り戻し、だんだんハッピーになってゆく場所じゃないといけない。でもそれだけでもダメなんですよ。今はお医者さんがみんな疲弊しているし、看護婦さんも座る間もなく、ずっと立ちっぱなしで腰痛になったりしているでしょ。患者さんの良くなっていく姿をともに喜びあいながらハッピーになっていくには、ある程度の心のゆとりがないとダメなんです。そういうモデルを日本で作りたいものです。これは日本人が本気になったら最高のものができるはずです。ボストンあたりにはディズニーランドのような、今までと全然違う人間味のある小児科のホスピタルがあります。そこまで徹底していなくても、いろんな工夫をすれば、もっと低コストでできるはずです。また今の病院では患者は安眠できないということは有名な話です。眠いときに検診があったり、隣のベッドで面会者と大きな声でおしゃべりしていたりね。とにかくせわしく落ちつかない。だから、ぐっすり安心して眠れない。それゆえ、早く退院しないと悪くなる。
- 鈴木佑治先生:
- 本当にそうですね。眠れないことの方が多い。
- 大塚晃志郎先生:
- そうでしょう? しかも昔の野戦病院の名残か、掃除などの効率が優先され、ベッドも華奢でしょう。自然で、かつコストを抑えたもっといいものができるはずですから日本でそういうモデルができて世界に広がっていったら非常にいいと思います。ただ、ある医大の先生と協議したとき「大学の研究室が以前は木造だったけど、今は設備がすごくよくなった。でも研究の質やレベルは前の方が高かった」と言うんです。結局環境がよすぎると、安心してしまう。やっているふりをするけど、本気になってやってないということなんですね。だからどんなによい空間でも、最終的にはやっぱり人間が大事です。いろんなものが絡みますけれど課題は大きいですね。
読者へのメッセージ~「人間味のある人間英語」を学ぼう
- 鈴木佑治先生:
- それではTOEFLメールマガジンの読者にメッセージをお願いします。
- 大塚晃志郎先生:
- 英語は、道具として活用できるとすごく得ですから、勉強したほうがいい。ただ、どれだけ英語を勉強して技を身につけても、結局はその人の人間性や人間力が英語ににじみ出てきます。だから人間の表情をした人間力あふれる「人間英語」であることが大事なんですね。ペラペラそつなくいい発音でしゃべれても、顔なしのっぺらぼう英語ではダメなんです。それは、人間学や人間観察の生きた体験に基づく、切れば血のでる「人間英語」ということです。英語には人間らしい表情がなくちゃいけない。だから、まずその土台を是非磨いて欲しい。自分のテーマなり何かを追求して、自分の中で育ててください。海外で修士号や博士号をとった人でも、不思議となぜか英語が下手な人がいます。コミュニケーションの中身がダメなんですね。意外にも説得力のある、「人間力」ある英語を話せない。物事をやり取りするときに、英語は日本語よりも、とてもクリアーで分かりやすいし、じかに話すことでわかることがあります。専門的なやり取りもいろいろできますから、やはり英語はできたほうが得ですし、世界が広がります。英語圏以外の国でも、結局みんなコミュニケーションの手段として、たいてい英語でやり取りしています。そのおかげで世界が広がって、さらにそれがまた自分の強みにもなります。
- 鈴木佑治先生:
- 本当に関心を持ったことについて、てらわず気取らず、とにかく自分という人間を体あたりでぶつけて、いろんな国の人と英語でコミュニケーションをしている。それが大塚君の人生だと思います。人間力というのは、そういう実践の中で身につけていくのですよね。
- 大塚晃志郎先生:
- そうですね。やはり失敗を恐れたり、かっこうつけたりしているときは全然ダメでした。やむを得ないところまで追いつめられて、「ええい、迷っていても、今自分にできることをやるしかないんだ」という開き直りと覚悟から始まっています。外国人は少々文法がまちがっていようが、そんなこと気にしませんよ(笑)。問題にしているのは、まさに英語の中身です。ぜひ人間力のある「人間英語」を身につけてもらいたいと思います。

鈴木佑治先生の感想
大塚君に初めて会ったのは1978年、今から33年前です。思えば、日本の英語教育の発展に貢献したいという強い思いを持ち日本の大学に赴任したばかりの私は、どうにもならない現状を目の当たりにして悩んでおりました。年齢と専門領域こそ違うものの、大塚君も私もこの時が出発点であったような気がします。制度の欠陥を他人の所為にするだけでは欺瞞です。というのは自分もその制度の一部であるからです。改善に向けて考えては実践し、独断に落ちることがないよう人の意見を仰ぎながら前進するしかありません。大塚君は万人が必要とする医療の領域で考え行動してきました。大塚君の話を聞くうちに、かく言う私が英語教育をどのように考えどのように実践してきたか語らなければという衝動に駆られ、来月号から3回に亘りここ3年間の私の英語教育の実践を紹介させていただくことになりました。
– ホリスティック医学研究所所長・大塚晃志郎先生に聞く–全3回
93号– ホリスティック医学研究所所長・大塚晃志郎先生に聞く その1
94号– ホリスティック医学研究所所長・大塚晃志郎先生に聞く その2

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