様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
鈴木 佑治先生
立命館大学生命科学部生命情報学科教授
慶應義塾大学名誉教授
2011年3月11日の東北関東大地震で尊い命を失われた方々のご冥福を祈り、被災された方々にお見舞い申し上げます。被災地が一刻も早く復興することを心よりお祈り申し上げます。
今回から3回にわたり、2008年4月に発足した立命館大学生命科学部薬学部の「プロジェクト発信型英語プログラム」(立案・企画・担当 総責任者 鈴木佑治)を紹介させていただきます。初回はプログラムの基本理念を中心に、2回目はプログラムの構成を中心に、3回目はプログラムの成果を中心に紹介します。
意識についての最先端の研究をしているダニエル・デネットという著名な脳神経学者がいます。意識の多文章(multiple drafts)理論という学説を立て、脳神経学で遠ざけてきた意識という難問に果敢に挑戦している脳神経学者です。人工知能に精通し、唯物論の視点から、デカルトの心身二元論を否定するため、意識をもつ人工知能を作ろうとしているようです。デカルトは、心と身体は別物で、高次機能は心に、低次機能は身体にあり、心には思考などの高次機能を扱う小人が存在し、身体を支配すると考えました。それに対して、デネットは、身体は心の基盤であり、心と身体は一体であるという心身一元論を主張し、人工知能を備えたロボットも意識すなわち心を持ちうることを実証しようとしています。極端な機械観的唯物論と言えますが、ここまで過激ではないものの、心と身体は一体で心は脳神経という身体に依拠すると考えるアントニオ・ダマシオのような脳神経学者も大勢います。
ことばという機能の基盤は脳神経にあることは確かですから、脳神経の研究はことばを知る上で重要です。その意味で脳神経学の研究論文を読むと、宇宙のように果てしなく広がる脳神経については種々諸説があり、喧々諤々の議論が行われ、確実に実証された事象が限られている、依然として未知の領域であることが分かります。ただし、私たちの脳には感覚野と運動野があり、両者が協働して情報を受容し、解釈し、それに対して新たに情報を組み立て反応するということは共通に認識されています。情報の受容から理解までの受信過程と、それに対する情報組み立てから反応までの発信過程が1サイクルとして直結していることは明白です。情報受信・理解と情報発信・反応は互いに依存しているのです。このことは、ことばの習得にとって前提となりうる事象であると思います。聞いたり読んだりして情報集めをするのは、話したり書いたりして情報発信するためであると言うことです。発信のための受信はとても能動的ですから、聞くことも読むことも量質かなり充実します。よって発信することで受信スキルは向上します。聞いたり読んだりするだけでは、聞く読むスキルの向上はあまり望めません。
私たちの日常生活は聞いたり読んだりするだけに終始するでしょうか。聞けば話す、読めば書いて発信したくなります。話すことや書くことに障害をもったとしても、ことば以外の表現方法で情報を発信します。情報の受信と発信はコインの裏表のようなもので分離することはできません。対になり初めて機能するのです。ですから、聞くだけ、読むだけ、あるいは聞いて読むだけでは、母語であれ外国語であれ、そのことばの習得は不発に終わるでしょう。TOEFL ITPテストやTOEICテストなど、習熟度を測るテストが主として聞くことと読むことをテストすることから、このような偏った学習方法が闊歩しているのかもしれません。聞いたり読んだりしさえすればこれらのテストの点が上がるものと思いがちですが、実は、同時に話したり書いたりして発信すれば、更に高得点が期待できるでしょう。
私は1968年に渡米しましたが、渡米直前にTOEFLテスト(現在で言うTOEFL PBT)を受けたところ545点でした。渡米後の数カ月は、話すことはおろか聞くこともままならず、読んだり書いたりすることも現地の生活ではまったく機能しませんでした。レストランでオーダーすることにも、道案内を聞くことにも、メモを読んだり書いたりする日常生活の些事さえままならず何度も立ち往生したものです。それから友人を作りアルバイトをしたりしながら、下手を承知で話したり書いたりして自分から積極的に話題を提供したりしました。そんなことを繰り返すうちに、1年後にはTOEFLテストで600点以上のスコアを上げるようになっていました。現地の生活に溶け込むには、体を動かして自分の意見を言わなければ孤立します。友達もできませんし、仕事にもありつけません。そこで、現地の人々の生活に関心を持ち、彼らの話に耳を傾け、新聞雑誌を読み、テレビ・ラジオに耳を傾けて話題を拾い、同時に身振り手振りも多用して進んで会話の輪に飛び込みました。そうこうするうちに気がついてみると、聞く力も抜群に伸び、かつてなら1時間かけたであろう読み物も数分で目を通せるようになっていました。
現在、TOEFLテストは、インターネット版TOEFLテスト(TOEFL iBT)に移行し、1960年代のTOEFLテストとは違い、読む・聞くだけでなく、話す・書く技能も測るテストに移行しています。もし私が1968年と1年後の1969年にTOEFL iBTを受けていたとしたら、話す・聞く技能を測るテストのスコアにも一層の向上が見られたものと思います。
さて、聞く・話す・読む・書くなどの4スキルを行うには、先立つものとして、文法・表現・語彙・発音といったことばの能力・知識が不可欠です。実は、ことばの能力・知識には、聞く・読むなどの受信的スキルに特化したものと、話す・書くなどの発信的なスキルに特化したものがあり、両者には質的な違いがあるように思えます。聞いたり、読んだりする情報には、あらかじめ文法・語彙・表現・発音が埋め込まれてあります。よって、分析・解読に特化した受動、受信型ことばの能力・知識が機能します。しかし、話したり書いたりする場合は違います。自分で文法・語彙・表現・発音を情報に盛り込まなければなりませんから、能動、発信型のことばの能力・知識が必要になります。
例えば、日本語の語彙の知識・能力を考えてみましょう。読める漢字の数の方が書ける漢字の数より圧倒的に大きいことが分かるでしょう。普通、受信型のことばの能力・知識が、発信型のそれよりも大きくてしっかりしていますが、しかしながら、受信型のことばの能力・知識は、発信型のそれと連動しており、発信型のそれがより強化されると受信型のそれも更に強化されるであろうことが予測されます。書く漢字力がupすれば読める漢字力もupします。すなわち、発信型の文法・語彙・表現・発音力がつけば受信型のことばの能力・知識は堅固なものになるでしょう。TOEFL ITPテストやTOEICテストも文法・語彙・表現のセクションがありますが、発信することによりこのセクションの点も上がるでしょう。
ここで、私の個人的体験をもう一つ例として述べたいと思います。私は65歳を機に規定により退任しましたが、以前長きにわたり英検1級の面接員を務めておりました。1級の試験では始める前に簡単に挨拶のようなものを交わします。TOEICテストで900点以上を取ったと言われる方々が多くおられましたが、その中には、いざ面接が始まると硬直して一言も話せない方がいらっしゃいました。こちらの質問は分かるのですが、どう話したらよいか焦ってしまい頭が真っ白になってしまったようです。ご本人も聞いたり、読んだりしただけで話す機会はあまりなかったと言われてお帰りになりました。その通りです。聞いたり、読んだりするだけでは、聞いたり読んだりするだけの情報受信型のコミュニケーションに長けても、情報発信型のコミュニケーションはできません。受動型のことば能力・知識はある程度備わっても、能動・発信的なそれが備わらないからです。最近、多くの企業でもこのことに気づき、聞く・話す・読む・書くの4技能がバランスよく備わった上でTOEICテストができるかどうかを見るようになっていると聞きます。企業活動では、物を作り、売り、買いしなければなりません。みな発信行為です。発信しなければ物を作れませんし、売ることも買うこともできません。
私たちはなぜことばを習うのでしょうか。テストに合格するためではありません。ことばを通してコミュニケーション活動をしたいからです。ことばとコミュニケーションについてはさまざまな誤解があります。ことばができるからコミュニケーションができるのではなく、コミュニケーションができるからことばができるのでもありません。ことばはコミュニケーション活動の一部であって全てではありません。もちろん、人のコミュニケーションにおいて、ことばは無視できない重要な位置を占めるものであることは言うまでもありませんが、ことばを介さなくともコミュニケーションをすることは可能です。
コミュニケーションは冒頭で説明した脳神経の仕組みそのもと言えるでしょう。環境からさまざまな感覚情報を刺激として受容し、理解し、自分のメッセージとして情報を作り、それを他に発信します。発信されたメッセージはまた相手の環境に感覚情報として飛び込み、メッセージが作られ、また発信されるという、いわば、無限に続くサイクルなのです。これを称して広義のコミュニケーションと呼びますが、人だけでなく、森羅万象がコミュニケーションのサイクルに含まれるといってよいでしょう。
よく英会話を習う、教えると言いますが、会話をコミュニケーションと理解するならば、会話とは人それぞれがそれぞれの場で行う際限の無い活動ですから、習ったり教えたりすることはできないのです。いくら「おはよう」「こんにちは」などの常套表現を覚えてみても会話をマスターしたとは言えません。それらの多くはphatic communion(社交辞令的、交感的言語使用)と称されるもので、会話する前の潤滑油的なものであって会話そのものではないからです。会話はそこから始まる予想できない無限に続く活動なのです。
コミュニケーションは、ことばだけで完結するものではないと言いましたが、私達が受容する感覚情報は、言語、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚(痛覚)等の情報が混在する多種多様なもので、そこから産まれるメッセージも多種多様です。また、その多感覚で多様なメッセージを伝えるにはそれに対応する多感覚で多様な伝達方法が必要です。ことばはほんの一部ですから、ことばをそれ以外の伝達方法と的確に組み合わせた総合的伝達方法こそ創造力に富んだレトリックと言えるでしょう。
コミュニケーションをこう理解してみると、一つの疑問がわきます。なぜ私たちはコミュニケーションをするのでしょうか?おそらく、自分の意図(デネットの意識)や価値観を他に伝えたいからでしょう。また、生存するために他と価値観や意図を共有したいからでしょう。先ほどあげたダマシオやピンカーなどの脳心理学者は、その意図や価値が進化の過程で生じた生存のための生物学的な本能(先天的なものと、後天的なものがある)と関連すると主張しますが、その真偽はさておき、こうした意図や価値観を土台に受容した感覚情報を理解しメッセージを組み立てるものと考えられます。
もし、意図や価値観がこのように働くとしたら、人は、自分の価値観を享受するために、意図的に情報を集め、意図的にメッセージを作る筈です。私は、これをプロジェクト(to project = 捨象する、投影する)すなわち、自らの意図、価値観をプロジェクションすること、それをメッセージとし捨象することではないかと考えました。人は一生懸命何らかのリサーチ(調査)をして情報を集め、メッセージとして自分の意図、関心、価値観を表現します。今日誰と遊ぶか、何をして遊ぶかは幼い子にとっては大きなプロジェクトです。小中学生には運動であり、ファッションであり、高校生、大学生、社会人になると、より社会性を帯びてプロジェクトの幅は広がります。私たちの人生は、個人的なものから公の性格を持つ一連のプロジェクトで編まれたコミュニケーション活動そのものと言えるかもしれません。
英語の授業がコミュニケーションを目指すとしたら、この意味でのコミュニケーションが英語で行われていなければなりません。それを反映させたものが「プロジェクト発信型英語プログラム」です。私ごとで恐縮ではありますが、私にとりましては人生の集大成とすべく、2008年に発足した立命館大学生命科学部、薬学部「プロジェクト発信型英語プログラム」を実装して早3年が過ぎ4年目に入ります。私は、もともと、1990年より2007年まで、前任校の慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて、このプログラムの前身となるプログラムを試行錯誤しながら立ち上げました。2007年に定年退職しましたので、良かった点もある半面、及ばずながら数々の課題も残り、目論んだ理想の形には到達できませんでした。全人、全学生がもれなく恩恵を受けて初めて改革と言えるとしたら、前任校では履修生の半分程度に限られたことで改革とは言えず、学部1年生から大学院まで一貫したプログラムとは言えなかったことでlifelongモデルとしては寸分足りず、今でも本当に心残りに思っています。
しかし、そうした中でも受講生は素晴らしい成果を残し、卒業生の中には、就職して英語プロジェクトで培ったコミュニケーション能力を活かしている人たちが多くいます。また、志を共にしてくれた同僚教員には敬意を表します。前任校での試行錯誤は、拙著『英語教育グランドデザイン:慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの挑戦と展望』(2003年 慶應義塾大学出版会)をご参照ください。
立命館大学生命科学部、薬学部では、課題をすべて精査し、学部1、2回生の英語から、3、4回生の専門英語、2012年に始まる大学院英語一貫の「プロジェクト発信型英語プログラム」を提案し、大学当局、両学部の支援協力を受け、全英語担当教員が一丸となり理想に向けてまい進しています。生命科学部(1学年約300名)と薬学部(1学年約100名)の全学生が身近な日常生活の興味を皮切りに、学年が進むにしたがい専門分野の興味に移行しそれぞれプロジェクトを組み、リサーチをして情報を集め世界に向けて成果を発信しています。これをプロジェクト・クラスと言います。また、同時に発信するために必要な英語の4スキルと文法・語彙・表現・発音などの能力・知識を機能的にブラッシュアップできる、スキル・ワークショップを並行して履修させています。
立命館大学 生命科学部・薬学部 プロジェクト発信型英語プログラム
次回からは、成果を交えて具体的にプログラムの紹介をします。何も話せなかった学生が、自分の好きなことを話すようになり、リサーチをしてプレゼンテーションし、2年時にはリサーチの成果についてディベートやパネル・ディスカッションし、2000語程度のアカデミック・ペーパーを書きプレゼンテーションしています。3年時の後期には専門分野のプロジェクトを組み、ポスター・プレゼンテーションをするまでに成長し、そのうちの何人かは国際学会で発表するようになりました。本年度の新4年生は卒業制作のアブストラクトを英語で書き、ポスター・プレゼンテーションすることになっています。全学生の出席率はほぼ99パーセント、各授業の授業外予習、復習時間は平均で90分、人によっては180分です。また、TOEICテストでも100点、200点と伸びる人が続出しています。大学院までの一貫教育で、2012年に始まる大学院では、修了時に、成績優秀者がペーパーを国際学会に受諾され、口頭発表できることを目指しています。
詳細はhttp://www.pep.sk.ritsumei.ac.jpを参照してください。
立命館大学生命科学部薬学部「プロジェクト発信型英語プログラム」全3回
97号– 「プロジェクト発信型英語プログラム」 その2
98号– 「プロジェクト発信型英語プログラム」 その3