For Lifelong English

  • 2014.07.08
  • 鈴木佑治先生
  • 慶應義塾大学名誉教授
    立命館大学客員教授

第72回 スポーツと学問のススメ ―アメリカの大学で学問する一流スポーツ選手への道―

東京六大学野球春季リーグ戦で、東大野球部が70連敗していることが話題になりました。「東大野球部、頑張れ!秋には1勝を!」とエール(yell)を送ります。思えば、筆者が大学に入学した1960年代の前半、東京六大学野球はプロ野球に匹敵する人気があり、早慶戦(筆者の母校慶應では慶早戦)の切符を取るのが大変で、徹夜で並んだことがあります。そんな時代に東大には新治伸治投手(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%B7%BC%A3%BF%AD%BC%A3)というすごい投手が居て、慶應が負けたのを憶えています。新治投手はその後大洋ホエールズに入団、活躍し、退団後は大洋漁業で実業人として活躍されました。それ以降も頭を使う技巧派投手を輩出しました。筆者らと同年輩の井出峻投手は、中日に入団し、俊足強肩を武器に外野手に転向して、守備固め代走で活躍しました。今では中日球団の首脳部で活躍されています。

学問とスポーツは相反するもの、東大は学問優先、スポーツをするところではないという考え方が巷間根強く残っています。かつて教鞭をとっていた慶應大学の経済学部で学習指導をしたことがあります。1980年代のことですが、慶應の経済学部はとても厳しく勉強させるところで、学年末近くになると多くの学生が相談にやって来ました。その中に、体育会所属の学生も居て、練習が厳しく勉強する暇がないかのような言い訳をしていました。スポーツと学問は相反するものという論理を逆手に取った考え方です。筆者は、スポーツ選手こそ海外遠征で英語が必要なこと、スポーツの社会的役割などをこんこんと説明しました。それを機に学業に対する態度も変わり、米国で経済学を勉強したいという人が複数現れました。その後移籍した湘南藤沢キャンパスでも意識の高い体育会の学生に会うことができました。1992年に入学した高木大成選手(西武ライオンズ入団)、そしてその後に入学した栗原徹選手(サントリー・ラグビー部入団)らラグビー部の面々(全国優勝)です。1限目の授業でしたが、休んだり遅刻したりすることなく、眠い目をこすりながら、現役スポーツ選手にしかできないプロジェクトを組み、プレゼンテーションやディベートをしました。スポーツと学問は相反するものではないことを証明してくれました。

アメリカなどのスポーツ先進国では、スポーツのグローバル化を考えながら、官民上げて色々な政策を打って来ているように見えます。というのは、スポーツは一大産業であり、実用主義(pragmatism)の影響からか、早くから学問分野として発展させて来ました。ハーバード大学、イエール大学、ブラウン大学などのIVYリーグ校や、スタンフォード大学、南カリフォルニア大学、 デューク大学などの名門私立校から、カリフォルニア大学・ロスアンゼルス(UCLA)などの州立名門校にいたるまで、スポーツをカリキュラムの一環としてとらえ、かなり充実したプログラムを提供しています。大学経営の視点から見ても、バスケットボールやアメリカンフットボールは、大学の収入源の一部をまかなっているようです。カリフォルニア州パサディナで行われるRose Bowl (http://espn.go.com/college-football/bowls/_/game/rose-bowl)は、全国ネットワークで放映され、昨シーズンはMichigan State University(MSU)とStanford Universityが対戦し、MSUが辛勝、視聴率も大変高かったようです。

アメリカでは、こうしたスポーツを対象にして、医学、ビジネス、経済、法学、教育、工学、建築、物理学、情報・コンピュータ・サイエンス、倫理・哲学、歴史、社会学、心理学、文学など様々な分野を横断する新しい総合的学問が生まれつつあります。それに対して日本では、学問とスポーツとを分ける風潮が根強くあります。確かに文武両道を訴える学校もありますが、スポーツをする生徒と勉強をする生徒は別々ということがよくあります。また、スポーツ自体、若い時にするものと考えがちですが、高齢化社会の健康を射程に入れてLifelongのものとして定着させて行く必要があります。スポーツはグローバル時代の総合的学問分野の可能性を秘めており、高齢化社会日本でも新産業として考えるべきです。

こうしたアメリカの大学では、スポーツをしながら勉強することができる環境が整っています。高校野球がたけなわになってきましたが、南カリフォルニア大学やアリゾナ大学などの野球部からは、多くのメジャーリーガーが出ています。本場アメリカで野球をしながら勉強する道を選ぶ高校球児も居てよいのではないでしょうか。他のスポーツも同じです。スポーツのグローバル化が進む中、本場で学業をしながらスポーツを続ける若者が必要です。ネットでアメリカ各大学のスポーツ・プログラムを調べてみましょう。例えば、Harvard, athletic programsと打てば、ハーバード大学のスポーツ・プログラムの詳細が出て来ます。興味深い情報満載です。本当は野球をしたかったが、大学受験のために諦めたという高校生もいるかもしれません。野球も勉強も一緒に出来る道があります。

東大野球部の話に戻りましょう。1871年(明治4年)11月4日に行われた日本初の野球の国際親善時代について知っていますか?アメリカ人チームと対戦して29対4で勝ったのは当時の旧制一高です。現在横浜スタジアムがある公園の一角で行われました(「横浜の歴史“横浜ことはじめメモ帳”野球編」http://www.allstaff.jp/allstaff_memo04baseball.html)日本チームのキャッチャーは剣道の胴着と面をかぶっていたそうです。日本野球創世記を支えたのは現在の東大の前身です。日本に野球を導入した正岡子規先生の母校です。東大には縁もゆかりも無い筆者が東大野球部を応援したくなる理由です。

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