For Lifelong English

  • 鈴木佑治先生
  • 慶應義塾大学名誉教授
    Yuji Suzuki, Ph.D.
    Professor Emeritus, Keio University

第124回 今でも新鮮!Procol Harumの名曲“A Whiter Shade of Pale”(歴代57位Rolling Stone誌)―今でも続く解釈の連鎖

筆者は元同僚の田中茂範氏と定期的に勉強会をしています。互いに持ち寄る身近のテーマからコミュニケーション、言語、教育について考え、自由に討論する愉しい一時です。去る7月に行われた会で、筆者はProcol Harum(*1)の名曲“A Whiter Shade of Pale”を取り上げました。1967年にリリースされて以来、今でも耳にする曲で、Rolling Stone誌“500 Greatest Songs of All Time”には57位にランクされています。58位がMichael Jackson の“Billie Jean”ですからいかに凄いか分かります。

500 Greatest Songs of All Time

まず、オリジナル・バージョンを聞いてください。読者も一度は耳にしたことがあるでしょう。筆者自身も、1968年から10年間の留学生活を挟み、今に至るまで何度も聞いている曲です。2006年にはDenmarkのLedreborg Castle野外ライブでデンマーク国立オーケストラおよび合唱団と共演しています。視聴回数 はなんと25,490,233 回(本稿起稿時)で、今でも根強い人気を保っていることが分かります。(*2)オリジナル・バージョンと合わせて聞いてください。

A Whiter Shade of Pale-Procol Harum

Procol Harum - A Whiter Shade of Pale, live in Denmark 2006

メロディーはとても平易で分かりやすいのですが、その反面、歌詞は謎だらけで難解です。 “A Whiter Shade of Pale lyrics meaning”で検索して分かるように、リリースされてから50年経った現在、様々な解釈が入り乱れ、これと断言できるものはありません。別の見方をすると、この曲をめぐり世代を超えた活発なコミュニケーション活動が展開されてきたことを物語っています。コミュニケーションとは何か考えるにはとても良い題材になると考えて勉強会のテーマに取り上げました。

コミュニケーションでは、(1)メッセージを生成し発信、(2)それを受信して解釈して反応として発信、(3)反応を受信し解釈して反応として発信、こうしたサイクルが当事者間で繰り返されます。(*3)どの過程でも物理的、心理的、社会的状況が作用するので、生成されるメッセージ、その解釈、反応は必然的に多種多様になります。

特に、ポップ・カルチャーは、古今東西、そうした多様性を自由に満喫できる場です。今回取り上げたこの曲をめぐって多種多様な解釈が生じるのは当然です。メロディーはスムーズで分かりやすく人を惹きつけますが、対照的に歌詞は難解でまるで突き放すかのようです。しかし、このメロディーの耽美さと歌詞の難解さが微妙なバランスを保ち、多くの人たちを魅了し、解釈が解釈を呼んできたのでしょう。敢えてたとえるなら美しくもトゲを持つバラのようです。

作詞したKeith Reidは、後述する2008年のインタビューで、作詞当時まだ19才で淡い恋愛体験を感じたまま描写しただけであったと述べています。しかし、この曲に取り憑かれた聞く側は、 Reidの意図が明かされた今も以前と変わらず、それぞれの体験に合わせ、あたかも謎解きでもするかのようにあれこれと想像しながら解釈に解釈を重ね続けています。それぞれにとっての曲なのでしょう。新鮮さの原点を垣間見るようです。歌詞をチェックしましょう。読者の皆さんはどう解釈しますか?

1967年当時のシングル盤レコードは4分程度しか収録できなかったので、上記の1番と2番で終わっていますが、実は、3番と4番があり、特別ライブなどで全部歌うことがあるようです。ここではレコーディングされている前半部分だけに焦点を当てます。ちなみに残りの部分は更に難解です。(*4)

タイトルの “A Whiter Shade of Pale”は、歌詞の“And so it was that later”で始まるサビ(hook)の一部“Turned a whiter shade of pale”から取っています。“As the miller told his tale”が示唆するように、これは中世英語を代表する大作であるGeoffrey Chaucer(1340-1400)のThe Canterbury Talesの一話“The Miller's Tale”がほのめかされています。以下のサイトに現代英語訳付きのテキストがあります。この曲のmoodを理解する手がかりになるでしょう。

Chaucer: The Miller’s Prologue and Tale – An Interliner Translation

この話の帰結部分に“pale and wan”とあり、それをもじっているものと思われます。

3828 That yet aswowne lay, bothe pale and wan,
  Who yet lay in a swoon, both pale and wan,

 

Chaucerの“The Miller's Tale”は、Oxfordに住む大工、妻、間借人の天文学者、妻に一方的な恋を寄せる教会のclerkが繰り広げる顛末です。大工は裕福ではあるが無教養で若く美しい妻に夢中です。しかし妻は天文学者に思いを寄せ、夫の目を盗んで密会しようと試みます。密会には成功するものの、横槍を入れた教会のclerkをも騙そうとしたが、逆襲され、密会目的で作った大仕掛けが崩れ、顔を青くして(pale and wan)倒れてしまいます。登場人物全員が良からぬ考えを持ち、それに端を発した珍事が起こって町の笑い草になるという話です。

この曲のサビ(hook)は、 そしてそのくらいの間をおいてから“And it was that later”→“The Miller's Tale”におけるThe miller が話すにつれ“As the miller told his tale”(The miller=多分“I”)→最初幽霊のような彼女の顔はwhiter shade of paleになった“That her face at first ghostly turned a whiter shade of pale”という意味でしょう。歌のサビ(“hook”)は、“high point”または“climax”とも言われ、歌全体のムードの鍵を握っているので、この曲全体のムードは、サビに示唆されている“The Miller's Tale”に象徴されていると感じます。筆者個人の解釈です。

歌詞の最初に戻ります。“We skipped the light fandango”は多くのイギリス人も正確に分からないようです。なにやら踊ったようですが、“fandango”は二人の男女がぴったり寄り添って踊るスペイン発祥のダンスです。(*5)BBC News|UK|Magazine の“What is the light fandango?”と称するサイトは、(*6)このverseは17世紀英詩人John MiltonのL'Allegro (1632)にある以下の件をもじったものであると説明しています。(*7)

Com, and trip it as ye go,
On the light fantastick toe.

BBC Newsが英国人に対して説明をしているわけですから、この曲の歌詞がいかに難解であるかが察せられますね。

“Turn the cartwheel across the floor”から“When we called out for another drink”までは、二人乗りのカート同士が激しく舵を切られてぶつかり合って動き回り、そこに流れる大音量の音楽、囃し立てながらみる観客の声援などなどのアミューズメント・パークで見かけるシーンを思い浮かばせます。

でも、その直後のverse“And the waiter brought a tray”があまりにも唐突で状況把握を難しくさせています。ウエイターが、頼んだdrinkを盆に乗せて持ってきたのか、もう閉店時間が過ぎておりテーブルの上のものを片付けるために盆を持ってきたのか、それなら“and”ではなく“but”を使うのではと思いますが、定かではありません。それから上記のサビのラインに繋がっていくのですが、サビの最初の“And it was that later”の“that later”は、飲み物を頼んでからウエイターが来るまでかなり時間が経ったものと想像できます。違うかもしれません。

その後に続く、不穏な表現が散りばめられたverse “her face, at first, just ghostly, turned a whiter shade of pale”から、男女の仲はあまり上手くいっておらず、女性の方が男性を捨て去ろうとしているものと想像できます。そしてサビの後の2番では、そういうことになってしまったことに対する女性の方の言い分が綴られています。曰く、そこにはさしたる理由はなく、真実は実に単純明白で(“the truth is plain to see”)、男性(“I”)がカードゲームでもしているかのように迷って信じてくれなかったからだ、と。

And they would not let her be
One of sixteen vestal virgins
Who were leaving for the shore

ここでは“Vestal Virgins”について知らないとちんぷんかんぷんです。“Ancient Rome # 7 House of Vestal Virgins”という動画サイトが分かり易く説明しています。また、“Vestal Virgin-Ancient History”Encyclopediaも薦めます。

Vestal Virginsは、古代ローマ時代に女神Vestaの神殿に使えた巫女で、歌詞には16名とありますが、正しくは6名です。6歳から10歳の少女が選ばれ、厳しい戒律の下で30年間仕えたそうです。

“Vestal Virgins”は、サビ(hook)の部分に示唆される、“The Miller’s Tale”に登場する美しくもあざとい女性(Alison)とは正反対の女性です。純真な少女の象徴です。以下のくだりでは、彼女が、自身が言うように純真なのか、あるいはサビに描かれている“The Miller's Tale”のAlisonのように、顔をa whiter shade of paleに変えるあざとい女性なのか、二者択一の状況に揺れる男性の内面が吐露されています。

Although my eyes were open wide
They might have just as well been closed

肉体の目は開いていても、心の目をつぶっていたのかもしれない、と自問しながらも迷っているのでしょう。(*8)しかし、曲は再度サビ(hook)に戻り、彼女への疑いが消えないままであるとの印象を与えながらこの曲は終わります。筆者の感想ですが。

こうして歌詞を調べると、いろいろな状況が浮かび上がり、新たな物語ができます。でもそれはその人の感想でしかありません。

最近になって(2008年)、作詞したKeith Reidは、作詞当時の状況を次のように述べています。

I was trying to conjure a mood as much as tell a straightforward, girl-leaves-boy story. With the ceiling flying away and room humming harder, I wanted to paint an image of a scene. I wasn't trying to be mysterious with those images, I was trying to be evocative. I suppose it seems like a decadent scene I'm describing. But I was too young to have experienced any decadence, then. I might have been smoking when I conceived it, but not when I wrote. It was influenced by books, not drugs.(*9)

当時はまだ19歳で失恋のシーンのイメージを描こうとした。失恋のムードを喚起するために「天井が吹っ飛ぶ」などの表現を使った。デカダンスなことを連想させるかもしれないが、19歳の少年がそんな大それた体験をするわけがなく、単に読んでいた本の影響を受けて書いた“a straightforward girl-leave boy story”である。(*10)

おそらく、少年時代に読んだ本から受けたイメージを浮かぶままに取り入れたのかもしれません。実際に、インタビューでは本の影響はそれほど強くないとも言っています。タイトルの“A Whiter Shade of Pale”についても、あるパーティーに招かれた時に、たまたま、そこにいた男性がある女性に“You've turned a whiter shade of pale.”というのを聞いて、いつか使ってみようと思って使っただけと述べています。あまり深い意味はなく軽いノリだったようです。

そうであったにせよ、Reidが本から浮かんだ様々な断片をイメージして歌詞を書いたことは確かです。筆者の想像から、Chaucerや古代ギリシャ神話以外の多くの本、特に、詩などの影響を受けていたものと思えます。と言うのは、1960年代の多くの若者が、Allen Guinzbergの詩集Howlに影響されていたからです。昨年ノーベル文学賞を受賞したBob Dylanなどもその影響を受けた一人で、有名な“Subterranean Homesick Blues”は詩として聞けます。作詞家としてのReidもおそらく頭の片隅にあったのではないでしょうか。(*11)

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Bob-Dylan Subterranean Homesick Blues

筆者自身1960年代に在籍した英米文学科では沢山の詩集を読みました。この曲を聴きながら、John Donne、George Herbert, John Keats ,William Blake, Robert Browning, T.S. Eliotらの詩、わけても、Eliotの“The Waste Land”が浮かびます。若者の間に詩が流行した時代で、ポップカルチャーにその風潮が反映されていたのは確かです。この曲もその一つかもしれません。

少々長くなりましたが、ここで述べたかったのは、コミュニケーションにおいて、メッセージを受信する側が行う解釈は、受動的なものではなく能動的な発信活動であるということです。あるメッセージをめぐり、生成して発信する側はもちろんのこと、受信する側が行う解釈という活動も発信活動であるということです。自分のおかれた状況の中で相手の状況を想像しながら解釈し、新たなメッセージとして発信するのです。

また、物事を理解し反応する、ここには、当事者特有の状況が作用し、それは千差万別で多種多様です。文学や芸術などの分野はまさにそうした多彩な見方が奨励される分野です。良い作品とはいろいろな解釈を誘発し、コミュニケーションの輪が広がる場を提供するものでしょう。この曲はそうした芸術作品と言えます。

(2018年10月12日記)

 

(*1)1967年に結成された英国のロックグループです。詳細はProcol Harum Wikipediaなどをみてください。現在も活躍しています。
(*2)クラシックのオーケストラと共演するにはそれなりの背景があります。この曲のハモンドオルガンで演奏されるメロディーが、バッハ(John Sebastian Bach)の管弦楽第3番組曲(Orchestra Suite No.3 BWV1068 Air on the G string)に似ていると指摘されています。“Bach, A Whiter Shade of Pale”が2つを比較しています。メロディーの著作権をめぐりハモンドオルガン奏者が訴訟を起こしたのをきっかけに、このことが取りざたされました。最近和解が成立したようですが、このライブ演奏はそうした騒ぎをよそに音楽にジャンルを超えた繋がりがあることを感じさせてくれます。
(*3)実際にはさらに複雑です。関心ある読者は、(*2)に掲げた論文や『言語とコミュニケーションの諸相』(2000年 鈴木佑治 創英社三省堂)を参照してください。メッセージがどのように解釈されるかにより、相互理解と誤解が生まれますが、その視点から、コミュニケーション・メカニズムを探った、「日米の政治言説と誤解のメカニズム」(『現代日本のコミュニケーション環境』1999 鈴木佑治ほか 大修館書店の第4章)などもあります。
(*4)3番と4番の歌詞


(*5)The Cambridge English Dictionary
(*6)“What is the light fandango?
(*7)John Milton (1608-1674) 代表作は叙事詩Paradise Lostで、John BunyanのPilgrim's Progressと並びピューリタン文学の傑作と言われています。
(*8)“I wandered through my playing cards”というverseとも重なります。
(*9)“Nick Hasted in Uncut (2008) on A Whiter Shade of Pale
(*10)この歌は、飲酒による酩酊状態、あるいは、ドラッグによる幻覚症状で起こりうる支離滅裂な状況を表現したものと言われることがあります、それも一つの見方に過ぎません。Keith Reidははっきり否定しています。
(*11)(*4)に掲載した3番と4番には、ギリシャ神話にあるNeptuneと人魚をほのめかすversesがあります。

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